1970年代「今でも語り継がれる名車たち」の足跡 日本カー・オブ・ザ・イヤー前史の思い出
僕の主な役目は「官能評価」。日常領域から限界領域までクルマを走らせ、身体で、五感で感じたことを評価、言葉にすることだった。
モーターファン・ロードテストは、 試験場でとったデータを中心にしたものだが、それだけでは読者には難しい。なので、生身の人間が五感で感じたことを、わかりやすい言葉で説明するのが僕に与えられた役目。
「若い走り屋?」の僕が、自動車工学界の高名な研究者――一流大学に研究室を構える教授を中心にした方々――の中に入って意見を述べるのは勇気の要ることだった。
しかし、先生方は優しく迎えてくださったし、「ヤンチャな走りの結果の意見」にも耳を傾けてくださった。
いや、定常的なデータ採りからは出てきにくい「官能」部分の評価に、むしろ興味を持っていただけたのだ。うれしかったし、ありがたかった。
そんなことで、若造ながら、僕は「モーターファン・ロードテスト」の一員に加わらせていただくことになり、それまでは雲の上の人だった高名な先生方とも交流を持つことになった。
その流れの中で、多くの大学との接触も増え、さらには、国交省を初めとした官公庁との接触も増えてゆくことになったのだ。
第1回のイヤーカーは日本自動車史に輝くあの名車
モーターファン「Car Of The Year」の、10年の選考結果にも触れておこう。
大きな記念碑になる第1回、1970年イヤーカーの栄誉を獲得したのは、「日産スカイライン 2000GT 2ドアハードトップ」。
4ドアのホイールベースを70mm短縮して2ドア・ハードトップ化したもの。スタイリッシュになっただけではなく、運動性能も向上した。
GT-Rは全モデルが2ドア・ハードトップになり、当時のクルマ好きの憧れを一身に受けた。日本自動車史に輝く名車と言っていい。
第2回、1971年のイヤーカーは、「マツダ・カペラ・ロータリークーペ」。パワフルなロータリーエンジンを積み、俊足を誇った。すでに書いたが、マツダに依頼され、LA⇔NYを往復したクルマだ。「風のカペラ」というキャッチコピーそのままの、静かな、爽やかな、そして速いクルマだった。