コロナ騒動によって、「人権の脆さ」が世界各国で露呈した。主に欧米だが、海外在住日本人による「差別を受けた!」という悲痛な声がSNSに多数書き込まれている。
アジア系住民が電車の乗車を拒否されたり、差別的な言葉を投げかけられたりするのは日常茶飯事。アジア人が歩いてきたら口を手で覆い、スーッと避けていき、あまつさえ「コロナ!」と侮蔑の言葉を吐く白人男性もいたという。
コロナで見えた「人間の弱さ」
今回のコロナ騒動で、「人間の弱さ」を感じる出来事が多くあった。それらを大まかに分けると3つある。
今年1月に箱根の駄菓子店店主が「中国人は入店禁止」と意味する貼り紙を店頭に貼り、SNSでは「店主は差別主義者」など批判の声があがり、多数のメディアもこの件を問題として報じた。
しかし、今では世界中の国々がコロナの感染源である中国からの入国を禁止し、日本も各国からの入国を制限。店主のやり方は露骨すぎたが、今同じことをして「差別だ!」と批判する人は少ないだろう。そして、日本も世界の多くの国から入国を拒否をされている。
平時においては差別だと捉えられたことも、今回のような緊急事態には「人権」よりも「人命」のほうが優先されるため許容されがちだ。だからこそ現状には、「差別を正当化できるようになった」という危険がある。
前述の欧米各国で起きているアジア人差別も、差別する側の論理としては「アジア人のせいで我々の命が危機に晒されている」という心理が働いているのだろう。今後「黄禍論」(19世紀末に勃発した白人による黄色人種脅威論)のように欧米諸国によるアジア人種差別が再燃する可能性もある。
残念ながら今回の騒動によって延期してしまったが、オリンピックには「世界平和を実現する」という目的がある。2021年の無事開催を心から願うが、東京オリンピックは再び世界の人々が協調と優しさを取り戻せるかのメルクマールとなる。もしも開会式で中国人選手団の入場の際に大ブーイングでもあろうものなら、残念ながら戻ってはいないのだろう。
もし世界の人々に安寧をもたらしたのであればそれは、今進行している「差別の正当化」を食い止めることになるし、恐らく東京に来てくれた外国人とは「お互い色々大変なことを乗り切ったね」という「戦友」のような感覚を共有できるかもしれない。というかそうなってほしい。
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