「モノ消費からコト消費」では勝負にならない訳 水野学×山口周「役に立つ戦場から撤退せよ」
山口:世界史的に言えば、文明は行き着くところまで行って、経済に頼って解決しなくちゃいけない問題が非常に少なくなった。もちろん、世の中には難病で苦しんでいる人もいますし、貧困や幼児虐待という経済システムの外側にあるすごく大きい問題は残っていますけれど。
特に日本は、1867年の大政奉還で明治維新が始まってから、「文明開化」という合い言葉のもとでひたすら「『役に立つ』を使った問題解決法」を追求してきました。
そして「音楽に例えれば最終楽章」というところまで来たのが1980年代です。アメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版されて世界的なベストセラーになったのが1979年のことです。
この後1985年のプラザ合意の時点で日本は名実ともに世界ナンバーワンの経済大国になりました。文明をずっと教えてくれた先生に「あなたは私を超えました」と言われるまでになったわけです。
平成は「お手本」がなく漂流した30年だった
水野:「文明という学校」で日本という生徒がアメリカという先生を抜いて、「お前ら、たいしたもんだ」とお墨付きをもらった状況ですね。
山口:そうですね。いわば文明の卒業式がプラザ合意だったわけですが。そこで「文明」から「文化」へとギアをシフトできればよかったんです。
ところが「目指すべきお手本」がなくなった時点から、日本は糸の切れた凧のようになってフワフワと漂流を始めてしまうんです。そしてそのまま30年。平成って、そういう30年だった気がします。
水野:やがて、日本経済の元気もどんどんなくなっていった。
山口:文明という「役に立つ世界」にはすでに未来がないことはわかっているけど、文化という「意味がある世界」には怖くて行けない。そこでモタモタしているとやがては「役に立たない、意味もない」という存在になりかねない。「役に立たず、意味もない」となると存在価値が完全に失われてしまいます。
かつてあれだけ輝いていた日本の家電産業の企業でも、三洋電機をはじめとして破綻する企業が増えてきていますね。背景には「役に立つから意味がある」という価値のシフトに対応できていないという問題があると思います。
(次回につづく)
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