三菱グループ「87万人組織」の知られざる正体 150年目の名門財閥は今も強く結びついている

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三菱金曜会とは、毎月第2金曜日のお昼に開催されるグループ主要企業のトップ会合のこと。参加できるのは、4500を超えるグループ企業の中でも、中核の27社の会長、社長のみ。その中でもトップに君臨するのが、「御三家」の3社。会の幹事である代表世話人は、ここから毎年選出され、今年度は三菱重工業の宮永俊一会長が務めている。その下に、三菱地所や三菱電機をはじめとした10社が続く。御三家と、10社から6社が輪番で選出される計9社は、「世話人会」を構成する。それに続く14社までが、金曜会のメンバーだ。

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2月の第2金曜日にあたる14日、三菱商事ビルの地下駐車場には、正午前になるとレクサスやベンツといった黒塗りの車が続々と吸い込まれていった。中には、三菱のロゴ「スリーダイヤ」が光る三菱自動車の社用車もあった。

会場は、御三家の一角、三菱商事の本社が入る三菱商事ビルの最上階にあたる21階の「三菱クラブ」。専用の入り口とエレベーターを備え、クラブの西側にある大きなガラス窓から皇居を見下ろすことができる。一般の社員が入ることは、ほとんどない。

開会時間になると、参加者は昼食を取りながら懇談をする。食事のあとには、学者や著名人の講演を聴き、午後1時半を過ぎるころにお開きとなる。会に講師として参加をしたある学者は、「横長の大きなテーブルにトップがずらっと座っていてね。どこを見て話せばいいかわからなかったよ」と振り返る。東洋経済には、50年前の1970年に撮影された金曜会の写真が存在するが、長テーブルを首脳陣が囲む様子は、その証言と見事に一致する。

50年前の金曜会の様子。長テーブルにズラリと首脳陣が並ぶ

金曜会の起源と果たしてきた役割

金曜会は、いったい何を目的とした組織なのか。その起源は、1954年までさかのぼる。終戦後に三菱財閥が解体された後、陽和不動産(現・三菱電機)が株の買い占めに遭ったのを買い戻すため、中核企業が結束を求め、会が発足した(金曜会の世話人代表を務めた大槻文平編著『私の昭和三菱史』小社刊)。財閥解体によって、グループの司令塔であった三菱本社は解体したが、その役割の一部を担い、グループの危機に足並みをそろえて対応してきたのが、かつての金曜会の姿だったと考えられる。三菱が高度成長期を通じて発展したのは、こうした調整機能がうまく働いたためだ。

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