「若者の本離れ」がこんなにも加速した5つの理由 今や「マンガでさえ」昔よりも読まれていない
理由その3 「楽しくないから」
そこで僕は、Aさんに言いました。
「本を読むことを、学生時代に強いられた受験勉強と切り離して考えてみるのはどうでしょうか?」
読書=エンタメ。そう捉え直してみると、もしかしたら読書だって、難しいゲームをクリアするのと同様に、苦痛ではなくなるかもしれません。ゲームなら長時間やれるように、読書もエンタメだと思って向き合えば、時間をもったいないと思わなくなるはずです。
そうしたらAさんから、こう答えが返ってきたのです。
「だって、ゲームほど楽しくないじゃないですか、読書って」
本では、ネット動画や、ゲームほどのエンタメ感を得られない。そう返されてしまいました。なぜ、そう思うのだろうか? Aさんの答えを聞いて、僕はなぜだか考えてみました。僕にとって読書はエンタメなのに、なぜ読書しない人にとってはエンタメにならないのか、楽しく感じないのだろうか、と……。
すると、Aさんから次の答えが返ってきたのです。
理由その4 「書き手が知らない人だから」
つまり「なんで、よくわからない人の意見を、いちいち聞かなきゃいけないのか?」ということです。
知っている人や好きな人の話だったら、積極的に聞こうとは思いますが、本の書き手は、読者にとって大部分が知らない人です。そんな知らない人の私見や、勝手につくったストーリーを押しつけられても、それをわざわざ手に取って、自分の時間をかけてまで読もうとは思わない、ということらしいのです。仮に、それが面白いものだとしても。
ちょっと待てよ、と思いました。だったら、ネット動画やゲームはどうなんだと。
Aさん曰(いわ)く「ネット動画は好きなトピックで検索し、その検索で引っかかった動画を見て、その動画をつくっている人(ユーチューバー)に興味が出たら、その人の動画を何個も見る」そうです。
では、ゲームは? ゲームだって、誰がつくったかは知らないじゃないか? Aさんに聞くと、こう答えが返ってきました。
「ゲームはつくり手がわからなくても、そのゲームが楽しかったり、面白かったりすれば、それが伝わってきます」
つまり、それが面白いと思えるためには、ビジュアル(光景)が必要だということなのです。原則、本だと活字しかありません。本に書かれたビジュアルは、活字やその集合体である文章から、自分でイメージ(想像)する必要があります。その文章からビジュアルをイメージするという行為が〈理由その1〉の「つらい」につながるのです。
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