突然キレる父親に40年心を縛られた男性の苦悩 「毒親の呪い」は無理して克服しなくてもいい
「ちょっとした声がけも苦手で、例えば、作業をしている人の後ろを通るときに、『すみません、通ります』のひと言が言えない。ぶつかりそうになってムッとされたこともあります。そういうコミュニケーションがうまくできない。だから、無意識に失礼なことをやっているんじゃないかと思います。
でも、ぼく自身が怒ったり、怒鳴ったりすることはほとんどありません。むしろ、へらへらしたり、にこにこしたりしています。
ぼくが付き合えるのは、温和な人ばかり。自分に厳しく必死に生きている人は苦手です。概して、そういう人が世の中では成功していますが、父親もそういう意味では成功した人間なので、それに対する反感もありますね」
子どもの頃、家庭が平和なときも安らぎの場ではなかったという飯田さん。自分の精神状態を保つのに、何か助けになるものがあったのだろうか?
「とにかく、1人で外出する。いまもそうですが、ぼくが好きなものは地図、時刻表、鉄道に乗ること。小学生の頃は電車で日帰りで出かけたり、中学生になると新幹線に乗って親戚の家に行ったりしていました。ぼくにとって1人になる時間が非常に重要だったのです。
たとえ、親しい友人がいたとしても、ずっと一緒にいると自分が自分ではなくなってしまう。気を遣いすぎてしまうんですね。大学を卒業すると同時に一人暮らしを始めましたが、実家から離れられたときは本当にホッとしました」
仕事にも悪影響が出た
いまは派遣社員として英語に関係した仕事をしている飯田さんだが、意外にも文系ではなく、理工系の大学に進学している。
「ぼくが英語を好きになったのは中学生の頃で、社会人になってから英検準1級を取っています。よく知り合いからも、どうして文系の大学に行かなかったのかと聞かれますが、ぼくには『技術畑の父親を見返してやりたい』という気持ちが強かった。だから、理工系の大学に入ってエンジニアを目指したんです。
ところが、これが大誤算。エンジニアには知識や情報だけでなく、ロジカルな思考も必要なんですね。ものを設計するにしても創意工夫が必要だし、みんなと協調して作業をしなくてはいけない。そういうときのコミュニケーションもうまくできませんでした」
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