当事者が語る「毒親」と「じゃない親」の境界線 「毒親だった両親」に54歳女性が求めたこと
「『毒親』という言葉がブームになったのは最近のことだと思いますが、私の親が毒親である可能性は高いですね。身体的な虐待はありませんでしたが、精神的な抑圧を強く感じて育ちましたから」
そう語るのは東京に住む佐藤麻里子さん(仮名・54歳)。一人娘の佐藤さんは現在、80代の母親と2人暮らし。父親は2019年夏に亡くなっている。
彼女を生きづらくした母親のひと言
佐藤さんは自分のことを「いい子であろうとした」という。子どもの頃、近所の同級生の女の子が登校拒否したまま姿を見かけないようになったり、年上の男の子が不登校の末に自死してしまうという出来事があった。すると、その家庭は近所から浮いてしまい、「かわいそうに」という目で見られてしまう。佐藤さんは、そうした大人たちの様子を見て「学校に行かないことは、社会的に、あるいは肉体的にも抹殺されるに等しいことなのだ」と思ったという。
それから数年後。大学生になった彼女が、不登校を特集したNHKの番組を見ていたとき、母親に「私がもし、不登校になっていたら、どうしてた?」と尋ねてみた。すると、「そんなこと、するわけないでしょ。そんな育て方をしていなんだから」のひと言。その言葉に佐藤さんは大きなショックを受け、母親とは一生理解し合えないかもしれないと感じたそうだ。
母親にとって学校に行くことは当たり前のこと、娘が不登校になるなどありえないことなのだ。地方の子だくさん家族の長女だった彼女は、「女に学問はいらない」という親のもとで育ちながらも、働きながら短大までいった苦労人。専業主婦が当然だったその年代の女性としては珍しく結婚後も仕事を続け、経済的にも自立していたという。
「子どもの頃は母のことを尊敬していて、『母が求める自分』であらねばと強く思い込んでいました。いつも母の言うことを気にし、意に沿うように行動していたのです。それに疑問を持つようになったのは中学生のとき。友人から『あなたのお母さん、大嫌い』と言われたことがきっかけです。
その友人は複雑な家庭で、当時で言う『ツッパリ』でした。補導歴などはありませんでしたが、明らかな校則違反をしていたり、教師をはじめとする大人に対して反抗的な態度を見せる子どもだったのです。そこが母には気に入らなかったのでしょう。私に『あの子と付き合うんだったら、気をつけたほうがいいよ』と忠告し、彼女が偏差値の高い高校に入学したときには、本人に面と向かって『運よく入れることもあるのよね』などと言ったりしました。
そんな母に反発を感じながらも、親の顔色をうかがい、親を刺激しないように暮らしていました。一方で、親の願いどおりにならない自分に落ち込み、『私はダメな人間なんだ』と自己否定に走る日々。だから、10代の頃は自殺願望が強かったですね」
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