戦前に存在した?「渋谷モノレール」構想の謎 もう一つの上野モノレールとの意外な関係

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駅の数や位置は正確には不明だ。国立公文書館所蔵の図面によれば、起点の上野駅は現在の京成上野駅付近に設置。ここから上野公園内を北上するルートで清水観音堂や現在の上野動物園表門付近などに駅を設置し、動物園の旧正門付近に終点の動物園駅を設置する計画だったらしい。空中と地下の違いはあるものの、現在の京成本線のルートとほぼ同じだ。

上野懸垂電車のルート(赤)。上野動物園モノレール(青)とは異なり、地下を通る京成本線(黒点線)とほぼ同じルートだった(地図ソフト「カシミール3D 地理院地図+スーパー地形セット」で筆者作成)

国立公文書館には線路や車両の構造を示す図面も残されている。それを見る限りでは、I字型の軌道桁の下辺に車輪を置いて、車体をぶら下げる方式。車体の寸法はかなり小さく、現在の路面電車よりさらに小さい感じだ。

しかし、東京市(現在の東京都)は上野公園内の景観を損ない、交通機関としての効果も期待できないとして計画に反対。国は1929年5月17日付で却下してしまった。

図面になぜか「渋谷」「井ノ頭」の地名

ところで、国立公文書館に残されている上野懸垂電車の文書には、不思議な図が2つ描かれていた。1つは停車場(駅)の断面図。ここには「神宮橋停留場」「渋谷行のりば」「井ノ頭方面のりば」という文字が記されている。このうち「神宮橋」は、原宿駅付近にある山手線をまたぐ陸橋と思われ、渋谷―神宮橋―井ノ頭方面なら現在の京王井の頭線に近いルートになるはず。上野からは大きく外れる。

もう1つの図は「省線ヲ横断スル場合ノ図」。「省線」とは当時の鉄道省が運営していた鉄道路線(国鉄線)のことで、いまのJR線と立体交差する部分の図面になる。しかし、上野懸垂電車のルートには省線と立体交差する部分がない。ただ、渋谷から山手線の内側に沿って北上し、神宮橋付近で西に向きを変えて井ノ頭方面に向かうルートなら、当時省線だった山手線をまたぐことになる。

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