ビバリーヒルズで美容整形はステータス?
美容整形に対する倫理観は、国や人種、宗教や育った環境によっても違いや傾向はあるだろう。概して、日本人は「親から授かったものを……」といった感覚が強いように思うが、10代、20代の若い世代はまた違った感覚を持っているのだろうか?
一方のアメリカは、美容整形先進国といえる。エンターテインメントの都ハリウッドに近い高級住宅街ビバリーヒルズなどは、「犬も歩けば整形外科医に当たる」と揶揄されるほど、名うての整形外科医がひしめき合う激戦区だ(ちなみに、シーズン5から本作はマイアミからカリフォルニアへと舞台を移す)。
余談だが、筆者が今でも忘れられないのは、1990年代に大ヒットした青春ドラマの金字塔『ビバリーヒルズ高校白書』で、お金持ちの娘の美女高校生ケリーが鼻をちょっとお直ししたことを、自慢げにしていたこと。当時、日本で美容整形は今ほど身近ではなく、周囲にバレないようにやるものだと思っていたので、美容整形がある種のステータスであり、美人がより完璧な美人を目指すのは当たり前といった感覚には驚きだった。
アメリカ人の美の追求は、強迫観念的
顔の造作もそうだが、筋肉や日焼け、とりわけ歯並びとホワイトニングに関しては、アメリカのエンタメ界の住人やビジネスシーンにおいても、何か強迫観念的なものを感じて少し怖くなるときがある。本作のクリスチャン役のジュリアン・マクマホンのピッカピカの白すぎる歯もまたしかり。
だが、アメリカでは歯並びのよさと歯の白さは、育ちのよさや教養などと同じように考えられている部分もある。日本でも、歯に関してはそういう考えを持っている人は増えているのではないだろうか。
じゃあ、“生けるフランス人形”を目指して、これまでに2000万円以上を費やし、全身整形を繰り返している『超整形美人』(竹書房刊)のヴァニラさんとなると、どうなのだろうか。程度の問題だと言う人もいるだろうが、理想の美を追求するという意味では歯のホワイトニングとベースは変わらない気がする。
ドラマの中で、「整形は自分に自信を持つためのもの。社交的にもなれる。体や顔つきを直しているのではなく、心を直しているのです」といったセリフが出てくる。おカネを払って、自分の体や顔で気に入らない部分を直し、それで自信を得たり、前向きに生きられるなら、それはそれで悪くないという考え方は筆者も理解できるし、美容整形をめぐる議論においては、よく使われる説である。
だが、心の問題が絡むからこそ、難しくもあるのだ。見た目も含めて、どういう自分でありたいかということは、アイデンティティにかかわる重大な要素であり、外見を変えるということは、自己の形成において大きな影響力を持つ。すなわち美容整形とは、生き方に通じる問題なのだ。トランスジェンダーの患者が来院するエピソードでは、とりわけそのことを考えさせられる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら