「東大中退」「余命5年」42歳ラッパーの壮絶人生 ダースレイダーを支えたヒップホップの精神
イベントへのオファーも絶えず、忙殺される日々。知名度と仕事量が増すにつれ、次第に慢性的な肩こりを感じるようになっていたという。
「肩がずっと凝っていたのは、疲れているからだろうと思ってたんですが、2010年のある夜、司会で呼ばれた青山のクラブのトイレで異変が起きました。出番前にトイレで鏡を見ていたら、文字どおり世界が『ぐるり』と回転したんです」
平衡感覚を失い、そのまま倒れ込んだダースレイダーはすぐに強烈な吐き気をもよおし、便器に思い切り嘔吐した。吐いて、吐いて、胃液しか残らないほど吐いても、吐き気は止むどころか悪化するばかり。一過性ではない。今まで一度も経験したことのない“何か”が自分の身に起こっている。そう理解したときには、もう思うように口も利けなくなっていた。
クラブにいた仲間たちからは急性アルコール中毒を疑われたが、酒は1滴も口にしていない。しかし、それさえ言葉で伝えることができない。そんなとき、その場のひとりが「危険シグナル」に気づき、ダースレイダーは仲間のDJの車で近くの救急病院まで運びこまれた。
担当医によると、あと30分搬送が遅れたら死んでいたかもしれない、まさに瀬戸際の状況だったという。告げられた病状は「脳梗塞」。それから3週間は寝ても覚めても揺れまくる船に乗り続けているような感覚が抜けず、つねに吐き気に苦しみ続けたという。
父の死で陥った「病院不信」
実は、脳梗塞で倒れるまでの過去10年以上、ダースレイダーは健康診断を一切受けていなかった。それには彼なりの理由がある。
ダースレイダーの父は朝日新聞の記者で、コメンテーターとしてたびたびテレビにも出演する著名なジャーナリストだった。しかしダースレイダーが大学在学中にアルバムデビューを果たした頃、父の喉に腫瘍が見つかる。
「父親はコメンテーターもしていたので、喉への負担が少ない治療法を自分で探し、札幌の病院に入院しました。入院するほど進行していたわけじゃなかったんですけど、早期発見でうまく治療すれば仕事に支障がないところまで回復できると見込んでいたんです。
でも結局、治療は後手後手にまわって肺炎を併発。父はあっという間に亡くなってしまいました。僕は医者の対応が今も信用できていなくて、『病院に行ってなかったら父はまだしばらく生きていたんじゃないか』という思いを持つようになった。まぁ、病院不信ですね。それからは一切、自分でも健康診断を受けるのをやめてしまいました」
以来、ダースレイダーは自分の健康にも無頓着に。だからこそ肩凝りは疲れが原因だと勝手に判断したし、倒れたときにも自分の身体に何が起こったのかわからなかった。