一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々
「“スパゲティ食べたいでしょ?”と母親が言うわけです。“もちろん食べたい”と私は言う。父が帰ってくる時間を見計らったようにナポリタンを出してくるのですが、私は当時からグズでしたから、スイスイ食べることができない。
すると突然、母がキレてナポリタンの皿をシンクに叩きつける。そこにちょうど父親が帰ってくる。母は“この子が食べたいって言うから作ったら、こんなもの食えるかって捨てたのよ”と言いつけるわけです。父親は“そんなことをしたのか”と言う。母親の思いどおりのストーリーが完成して私は有罪が決定する」
私はほぼ口を半開きにしたまま聞いていたと思う。幼い子どもの気持ちを考えるといたたまれない。それだけでもすごい話なのだが、そのあとがもっと悲惨なのだ。
母は父に「怒ってやって」と命令し、父はズボンのベルトをとって彼を鞭(むち)打つ。彼は屈辱に耐えながら、時間が過ぎるのを待つしかなかった。
「母は有名大学出身のお嬢様で、父は高卒。だから父にとって母が言うことは絶対だった。父が母を諫(いさ)めたり反発したりするのを見たことがありません。あのとき父は何を考え、感じながら私を打っていたのだろうと思いますね」
さらに母は毎日のように、幼い彼に「言うことを聞かないと、お母さんは死んでやるからね」と言い続けた。
「それがものすごく怖かった。子どもにとっては、意地悪な母親でも母親なんですよ。おまえを殺してやると言われたら逃げるけど、死んでやると言われたら身動きがとれない」
以前、母娘問題で悩む女性に話を聞いたことがある。彼女も小さい頃から、母の意向と違うことをしようとすると「あんたがそんなことをしたら死んでやる」と脅されていたそうだ。だから「母の思いどおりの人形になるしかなかった」と彼女は泣いた。
池井多さんもそんな脅迫を受けていた。しかも父も渋々かもしれないが加担していた。
強迫神経症に悩んだ人生の暗黒時代
「小学校低学年のころから死にたいと思っていました。本を読んで、理科室でシアン化カリウム(青酸カリ)を探したこともある」
小学校3年生から中学受験の勉強をさせられ、午前2時まで寝かせてもらえなかった。
その後、父の転勤で一家は名古屋へ。母は名古屋で塾を始め、かなりの収益を上げていたようだ。彼は引っ越し先の学校で「関東から来た異端児」といじめられていた。
「学校でも家でもいじめられて人生最大の暗黒時代でしたね。毎週日曜は、名古屋から新幹線で東京の塾に通わされ、いつも疲れていた」
そのころは強迫神経症に悩まされていた。不吉なことへの恐怖が強かったのだ。