孤独死した40代女性が日記に綴った叶わぬ願い 男性より見抜きづらい、女性の孤立
さゆりさんの両親はすでに他界していて、兄とも長年疎遠、誰も頼れる人はいなかった。そのため、さゆりさんは、たった独りで病魔に向き合わなくてはならなかった。
LDKには、かつて思いを寄せた男性を描いたと思われる絵が残されており、さらに男性にプレゼントしようと思ったのか、男物の毛糸のセーターや、マフラーなどの編み物がホコリをかぶっていた。
たった独りで闘病生活を送っていた
初期の日記には、彼女の闘病への決意が綴(つづ)られていた。
『病気を乗り越えて、人のためになれるようなボランティア活動をしていきたい。そして、幸せな家庭を築きたい』
しかし、その思いは日を追うごとにトーンダウンしていく。
『もっと私が元気だったら……生まれ変わったら、今度は、結婚したい』
さゆりさんのあまりにはかない、そしてささやかな願い──。しかし、それはかなうことはなかった。
そして、亡くなる1カ月前には、自らの病への苦しみや戸惑いを記したものが多くなっていく。
『お腹が痛くて、下痢が止まらず、身動きがとれない……。これからの自分は、どうなってしまうのだろう……』
日記は死亡推定日時の4日前で途絶えていた。
『今日は、お腹が痛くて、あまりよく寝れなかった。倦怠感もひどい……』
それは、さゆりさんが力を振り絞ってしたためた最後の文章だった。さゆりさんは、病気のことを誰にも告げずたった独りで闘病し、最後はトイレの中で崩れ落ちるように息絶えていた。
直接の死因はトイレで排便中にいきんだことによる、急死。しかし、誰も頼る人がいないという状況が彼女をむしばみ、死期を早めたのは明らかだ。
さゆりさんの遺体が見つかったのは、真夏を過ぎて、秋に差しかかった頃だった。
2階の窓から、大量のハエが見えることを心配した近所の住民が、警察に通報して孤独死が発覚。死後3カ月が経過していた。ひと夏を過ぎたさゆりさんの体液は、トイレと脱衣所の床一面に染み渡り、大量のウジとハエが発生していた。さらに体液はクッションフロアをとうに突き抜けて、ベニヤや断熱材、建物の基礎部分まで浸透していた。遺体が長期間発見されなかった場合、このように、建物の深部まで体液が浸透するケースも多いのだという。