自由が丘駅が「丘」でなく「谷」にある駅名の謎 私鉄にはたくさんある「山・丘」がJRにはない

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第2の問題の都内のJR駅に「山」駅がない謎について。これは恥ずかしながら、はっきりとしたことはわからない。「駅名に山の名を付けてはならない」といった規則があったのなら話は早いのだが、寡聞にしてそうしたものの存在を知らない。

以下、あくまで想像である。

都内の現JR路線は明治時代にその多くが敷かれ、現在の私鉄路線は一部を除き大正時代以降に敷かれていく。

明治時代くらいまで、国有鉄道も私鉄もともに○○山駅という名を付けるのを避けていたように思われる。

例えば京浜東北線の王子駅(1883<明治16>年開業)は、駅のすぐ隣に「飛鳥山」があり、ホームからも緑に囲まれたその姿がよく見える。飛鳥山駅としてもよかったはずだがそうしていない。

日暮里駅そばの道灌山(画面奥)(筆者撮影)

同じく田端駅(1896<明治29>年開業)は、駅西側に高台が続いているが、そこは江戸時代「道灌山」と呼ばれ親しまれていた。田端よりよっぽど知られた地名だったが、道灌山駅とはしなかった。

さらに言えば、隣の西日暮里駅は1971(昭和46年)の開業だが、ここも道灌山駅という名がふさわしいにもかかわらず、西日暮里という没個性的な名を付けられてしまった。

なぜ○○山駅と命名しない?

なぜ○○山駅という名を避けていたのか。推測に推測を重ねれば、車両や線路建設技術が低い段階では、急勾配となる山間部、トンネルや切り通しなどが必要となる山や丘は鉄道にとって邪魔物だったため、山と付けるのを忌み嫌ったのかもしれない。

また例えば戦前昭和、新聞やラジオで皇室関連のニュースの際、皇居や宮中といった言葉をわざとそのまま使わず「大内山」と言ったり、前述のように山が寺社に添える語だったりするように、「山」には高貴で畏れ多いイメージが存在した。これらも関係したかもしれない。

理由はわからないが、○○山駅という名を付けなかったという事実だけは厳然と存在する。

地形と駅名の関連を検討していくと、都心とその西側が意外と起伏に富んでいることに気づくとともに、「山」や「丘」に対する日本人の自然観の時代による変化にまで思いが及ぶ。

内田 宗治 フリーライター、地形散歩ライター

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うちだ むねはる / Muneharu Uchida

主な著書に、『地形と歴史で読み解く 鉄道と街道の深い関係 東京周辺』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)、『関東大震災と鉄道』(新潮社)など多数。外国人の日本旅行、地震・津波・洪水と鉄道防災のジャンルでも活動中。

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