自由が丘駅が「丘」でなく「谷」にある駅名の謎 私鉄にはたくさんある「山・丘」がJRにはない
「山」駅のほうはといえば、代官山駅、大岡山駅は丘の上付近にあるが、久我山駅のように谷(神田川)に位置するものなどまちまちだ。御嶽山駅、八幡山駅は、「神社仏閣に添える語」としての「山」の名を冠している。
ところで宅地など沿線開発と鉄道敷設をセットにしたビジネスモデルは、阪急グループ創始者の小林一三によるもので、五島慶太率いる現在の東急グループは小林一三の手法に学んだとされている。
○○丘駅といった名付け方も東急は阪急の真似をしたのだろうか。
阪急で〇〇丘駅が誕生
1916(大正5)年、阪急宝塚本線(当時は箕面有馬電気軌道)に雲雀丘(ひばりがおか)駅が開業する。自由ヶ丘駅より15年近く早く、東京の私鉄に先立つ○○丘駅の誕生である。
ところがその後ほかに○○丘駅はなかなか現れてこない。現存する駅では京阪神周辺に限ると、京阪の星ヶ丘駅、JR東海道本線の千里丘駅などが1938(昭和13)年に開業している。自由ヶ丘駅より後の開業なのである。
雲雀丘(兵庫県宝塚市)は、明治30年代から御影、住吉など阪神間の高級住宅地を開発してきた阿部元太郎が手がけた高級住宅地で1915(大正4)年から開発が始められた。山並みを背後にして田園地帯の平地を望む丘の中腹に立地していて、まさに○○丘の名にふさわしい。
付近には1910(明治43)年、現阪急宝塚本線の線路が開通していたが、住宅地の出現に併せて雲雀丘駅が設置された。同駅は1961(昭和36)年、隣の花屋敷駅と統合され、現在は雲雀丘花屋敷駅となっている。
ということは谷にある駅に臆面もなく○○丘駅と名付けたのは自由ヶ丘駅が最初と思われる。東京周辺や関西以外の全国的に検証したわけではないが、少なくともこの点においては、現東急は現阪急の例に倣ったわけではない。その後の○○丘駅の多数誕生を考えると、自由ヶ丘駅は○○丘駅ブームの立役者といえよう。
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