「ロバート秋山」をテレビでやたら見かける理由 狂気と悪意による批評型「メタ芸」の魅力とは

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そんな秋山竜次の「狂気」と「悪意」に満ちた「批評芸」について、筆者が知る限りの最高傑作は、2001年に放送が始まったフジテレビ『はねるのトびら』の初期における傑作コント「グローバルTPS物語」だ。

このコントで秋山竜次は、何とマルチ商法の幹部になりきって、威圧的な喋り方で、追い詰め、謎の物体「グローバルTPS」を売りつけるという、強烈な役回りを見事に演じるのだ。まさに、秋山流「批評芸」の最高峰だった。

ネタとベタ、そこから更に遠い「メタ」の世界

ここで、お笑いを分類する軸として、「ネタ」と「ベタ」を設定する。

(イラスト:筆者作成)

「ネタ」とは、「架空の設定や展開を用いた間接的な笑い」という意味とし、つまりは漫才、コント、落語などの、枠組みを持った笑い。対する「ベタ」は、ここでは「自身の地のキャラに根ざす直接的な笑い」という意味とする。つまりはフリートークなど、「ネタ」の枠組みのないところで生まれる笑いだ。

最近のお笑い芸人のブレイクストーリーは「ネタからベタへ」となる。たとえば『M-1グランプリ』などの「ネタ番組」で脚光を浴び、「ひな壇芸人」などで、徐々に地のキャラを認知させ、最終的に、わざわざ「ネタ」をせずとも、フリートークなどにおける「ベタ」な笑いを提供し、メディアに出続けることをゴールとする流れだ。

この背景には、この10年ほどにおける「ネタ番組」の減少、フリートーク番組の増加があると思うが、加えて「ネタ」を作り続けることのしんどさもあるはずだ。話題に対する瞬発力さえあれば、フリートーク芸人として生き残るほうが、圧倒的に楽だろう。

しかし秋山竜次は、そんな「ネタからベタへ」の流れに完全逆行し、「ネタ」から、さらに地のキャラから遠い「メタ」の世界へ突き進んでいくのだ。

「メタ」の意味合いは、マキタスポーツが『決定版 一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)で定義している「客観的に、鳥瞰的に、物事を『引いて』見ること」とする。地のキャラという主観に戻るのではなく、「『劇団えんきんほう』所属・子役」などの、自身からいよいよ遠い対象を設定、それを客観的に観察し、「狂気」と「悪意」を込めて「批評」するという「メタ芸」。

そんな秋山竜次のアプローチは、「批評」であるが故、知的でハイコンテクストとなり、大衆受けしにくくなる。その半面、「ネタ」と「ベタ」の間でウロウロする他の芸人との強い差別化となる。また対象への「なりきり」ぶりが過剰な分、外見のインパクトが強烈で、笑いの着火が早い。

このような、他の芸人との差別化と、笑いへの着火の早さによって、秋山竜次が、テレビ界で重宝されるのだと分析する。

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