東海道線「村岡新駅」構想、藤沢ー大船間に浮上 損得勘定は?土壌から防災まで課題も山積
村岡に新駅構想が最初に浮上したのは30年以上も前のことであり紆余曲折があるが、設置に向けた大きな機運となったのが、2006年の武田薬品湘南工場の閉鎖だ。その工場跡地に武田薬品の新研究所を誘致する計画を巡って、最大80億円を補助するとする神奈川県と、200億円超の支援策を提示する大阪府との間で綱引きになった。
結局、新研究所は村岡に決まった。当時、藤沢市長だった海老根靖典氏(現在、大樹コンサルティング代表)は、松下政経塾の後輩で親しい当時の松沢成文知事から聞いた話として「武田が社内で実施したアンケートで、住環境・子育て環境に恵まれていることから湘南(村岡)を支持する研究者が多かったこともあるが、敷地の目の前に新駅を設置することを条件として提示したことが決め手になった」という。
これを機に、2008年には「村岡・深沢地区全体整備構想(案)」がまとめられ、新駅を核とした村岡、深沢の一体開発が一気に動き出すかにみえた。
新駅構想が一気に進んだのはなぜか
ところが、JRの車両センター跡地で土壌汚染が見つかり、「土壌汚染対策処理費と建物の解体処理費の合計が、跡地の売却予定額を数十億円も上回る」(深沢まちづくりニュース 第15号)とされ、その対応に巨額の費用と時間がかかった。また、市域をまたぐ事業であるため費用負担や役割分担の協議が平行線をたどるなど、事業が進捗しなかった。
さらに、2016年秋に公表されたJRが実施した調査結果で、「村岡新駅の建設費が従来想定の1.5倍近い155億円超に膨らむ見通し」(2016年9月3日神奈川新聞 現在は約160億円とされている)であることが判明し、関係者の間に慎重論が大きくなった。
このように、いつまでも煮え切らないように思えた事業が、ここにきて急速に進んだのはなぜか。複数の関係者から聞かれるのが「県主導」という言葉だ。以下は、筆者の推測が含まれることを最初にお断りしておきたい。
黒岩知事は「医療と健康・未病」を政策の1つに掲げ、ライフサイエンス分野の研究拠点として川崎市殿町(とのまち)を整備してきたが、同地が飽和状態になりつつあり、新たな候補地を探す中、武田薬品の研究所もある村岡・深沢に白羽の矢を立てた。
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