「CEO報酬もらいすぎ問題」で今すぐすべきこと ゴーンが平均社員の数百倍稼ぐのはおかしい
エリザベス・ウォーレン上院議員は、アメリカにおける富と権力の不平等にいっそう幅広く取り組もうと、昨年「説明責任ある資本主義法案」を提出。 これは、大企業が連邦法が定める「企業市民権」を取得するよう義務付けるものである。また、取締会の40%を従業員が選任し、役員は報酬として受け取る株式を最低5年間保有しなければならない。
こういったさまざまな改革努力は問題を明らかにし、企業に変化を求めて圧力をかけるものである。だが、具体的な解決策の中には、ある種の不器用さを伴うものもある。
企業が賃金比率を操作するためにさらに多くの「会計ゲーム」にかり立てられたり、恣意的な切り捨てが定着する危険性がある。さらに企業は、より意味のある方法で問題に取り組まないで、プロフォーマー的なやり方で処理してしまうのかもしれない。
社会規範やビジネス慣行を基準にすべき
どうすればうまくいくだろうか。理想論かもかもしれないが、社会規範やビジネス慣行にのっとって経営トップと平均的従業員の報酬のバランスがより公平になるようにするのが、効果的な改善策となるのではないだろうか。つまり、支配的な規範や慣行がより高い公平性を求めるものなら、経営者は会計ゲームなど行わずにこれらの基本原則を遵守するだろう、ということだ。
ちょっと待って。このユートピア的なビジョンはどこかにそっくりではないか。そう、その通り。日本だ。
誤解しないように。日本のすべてがうまくいっている、と言っているのではない。 1つには、日本の経営者が全員必ずしも日本的な理想を守っているわけではない。ほかのどの国とも同じように日本にも悪い人はいるわけだから、それらをきちんと取り締まるために厳しい法律やコーポレートガバナンスの基準が必要となる。
そして日本には、監査基準を厳しくし、透明性を高め、さらにリーダーシップの多様性を高めるためのさらなるコーポレートガバナンス改革が必要なのも確かだ。
だが私が主張したいのは、日本において経済的な公平さや経営陣と従業員間の連帯といった伝統的な規範が損なわれるということは、称賛に値するものではなく、嘆かわしいものと感じてほしい、ということだ。 CEOに対する莫大な報酬は世界的な標準ではないし、そうあるべきでもない。アメリカ人でさえ、これには大半が同意するに違いない。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら