過激な部活動が「ほどほど」にはならない理由 「やるか」「やめるか」の極論の前に考えたい

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同じような話を数多く聞く中で、共通した問題が浮かび上がりました。それを3つに絞ると、①先生同士の同調圧力、②生徒からの期待、③保護者や社会からの期待です。順に見ていきましょう。

先生同士の同調圧力

最初に、先生同士の同調圧力について。ある県の小中学校の先生向けに「働き方とジェンダー」について講演した時のことです。出席した先生から「部活の指導が大変です。でも、なかなかそれを周囲に言えません」という意見が出ました。非常に遠慮しながら話していたのが印象に残っています。

「大変だ」とさえ言えないのはなぜか、解せない思いでいたところ、講演終了後に、やや年配の先生がこんなふうに話すのが聞こえてきました。「そうは言っても、部活はやりたい先生も多いから否定しきれない」。

この先生によれば、体育系の部活指導をしたくて中学校の先生になる人も少なくないそうです。自身がそのスポーツを長年やってきて、技能もあり愛着もある。ただし、プロになるのはハードルが高く生活も安定しない。そういう方が中学校の先生になり、部活指導に生きがいを見いだす……という図式です。

これは、指導を受ける側の生徒にもやる気があるなら、ありがたい話でしょう。しかし、多大な時間に見合わない、わずかな手当しかない部活指導を、すべての先生がやることを当然視するのはおかしな話です。

ここには同調圧力の問題があります。これ以来、先生向けに「働き方」の講演をする際は、必ず「ダイバーシティの重要性」に触れるようにしています。

つまり「部活指導が好きな先生が、思い切りやること自体はいい」ただし「やりたくない人、家庭や体調などの事情でやれない人が押し付けられたり、肩身の狭い思いをしたりするのはおかしい」ということです。

学校によっては「指導を引き受けたくない」と明言している先生はやらずにすんでいる、という例も聞きます。その一方で新しい学校に異動になり、状況がよくわからない中で部活指導を引き受けることになり、断れなかった、という人もいました。

実はこの話は、会社員の働き方にも当てはまります。職場にはさまざまな年代、ライフステージの人が集まっています。ある人は思い切り働いてキャリアアップを図りたいでしょう。また別の人は、家庭の事情や自身の体調、または社外で勉強したいことがあって、残業したくないかもしれません。本質的には、両者がお互いの意向を尊重して、自分と違う人を否定しないことが、多様な人材を活かすことにつながります。

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