博多・辛子明太子を生んだ「変な会社」の真髄 ふくや創業者・川原俊夫氏、独自の経営哲学
「祖父はいつも風呂敷に資料を入れて、いろんな会合へ出かけていました」と武浩さんが語るように、俊夫さんはPTAや自治会の役員などを積極的に引き受け、地域に尽くした。
修学旅行の際、家計に余裕がない子たちに毎年洗面道具を贈ったり、入学金や授業料を出したりは日常茶飯事。ただし、「先のある人の負担になるから名前は出さない」と匿名で活動を続けた。
「ふくや」は個人事業のまま、1979年に俊夫さんは高額所得者番付で福岡市のトップに立った。個人所得2億0693万円のうち納税1億7300万円、寄付2000万円以上で、手元に残るのは1400万円以下。自分の贅沢にはまったく関心がなかった。
「こうして生きながらえている以上、何かの形で世の中のためになる生き方をせにゃあならん。この立派な道路を歩けるのも、子どもが学校へ行けるのも、すべて税金ぞ。利益を出して税金ばうんと払う、それが当然たい」。1980年に67歳で亡くなるまで、この生き方を貫き通した。
営業利益の2割を支援活動にあてるふくや
その後「ふくや」は株式会社となり、妻から子ども、孫へと引き継がれ、武浩さんは5代目にあたる。夫婦で始めた店から、売上高147億円(2018年3月期)、従業員700人近くの会社へと成長した。
俊夫さんの志を継ぎ、「地域や社会の役に立つ」ことを第一に掲げ、地元企業の再生支援やイベントのスポンサーなどを数多く引き受け、年間200件以上の地域貢献活動を展開している。
たとえば、福岡サンパレス(コンサートホールのある複合施設)やサッカーのアビスパ福岡が存続の危機に立たされたとき、支援の手を差し伸べたのは「ふくや」だった。
「アジア太平洋博の時など8億円を支援に使った年も……。今は営業利益の2割ほどを支援に充てていますが、意義のあることはもっとやろうという声もあります。会社の業績にかかわらず、安定して支援活動を続けられるように、近いうちに財団を設立したいと考えています」
同社ならではの制度もある。従業員が学校や地域の役員、スポーツの指導者などになると、勤務時間中でも活動に行くことができて、給与はそのまま。さらに毎月1000円から5000円の手当までつく。「地域でお役目を担えば、人としてたくさんのことを学べます。ありがたいチャンスですよね。それに当社としては、社会のお役に立てることが何よりの喜びなのです」
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