本田圭佑と中田英寿が映すキャリア観の変化 転職も副業も当たり前になってきた
そう考えると興味深いのが、本田圭佑選手的なキャリアのあり方です。
本田選手は中田選手からまた10歳近く離れた1986年生まれ。その本田圭佑選手は、中田選手のように明確にキャリアチェンジをするのではなく、同時に複数のキャリアを並走することを選択したわけです。
もともと本田圭佑選手は、サッカー選手でありながら、2012年にサッカースクールを開校し、日本中に展開していますし、オーストリア3部リーグのSVホルンやカンボジアのシュムリアップ・アンコールFCなどの経営にも携わる経営者でもあります。
また、ウィル・スミス氏とともに設立したベンチャーファンドが話題になったように、投資家でもあるわけです。
スラッシュキャリアが当然の世代
実はこうした同時に複数の肩書で仕事をすることは、インターネット時代においてはもはや珍しいことではありません。
「複業」や「マルチキャリア」「スラッシュキャリア」など複数の呼ばれ方がありますが、従来の「副業」が本業の傍ら副収入を稼ぐ、というイメージが強かったのに対し、複業やスラッシュキャリアは同時に複数の仕事に全力投球しているイメージです。
世界的にも、アーティストや俳優が、本業を続けながら起業して会社を経営するケースはもはや珍しくありませんし、日本企業においてもマネジメント側の立場でありながら、複数の組織に携わっていたり、個人経営の会社を持っている人が大企業の重要な役職に就任したりするケースも増えてきています。
サラリーマンが、YouTubeやブログ、LINEスタンプのデザインなどで、フリーランスのように収入を得ることも珍しい話ではありません。
ある意味、本田圭佑選手の、選手兼代表監督の同時挑戦は、そんなスラッシュキャリア的なことが普通の世代においては、ある意味当然の挑戦なのかもしれません。
一昔前、転職が当然ではない世代からは、転職すること自体が批判の対象になってしまうことがよくありました。現時点において、複業やスラッシュキャリアが当然ではない世代には、2つの仕事に同時に挑戦すること自体が非常識であり、批判の対象になりやすいことも事実でしょう。
ただ、そんな本田選手の挑戦も、また10年後に振り返ると、社会的には普通の行為として考えられる時代になっているかもしれません。
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