ガキっぽい情熱を克服できない経済学の実態

ノーベル学者もピケティも嘆く内輪ウケ体質

ローマーが批判した経済学者の閉鎖的な内輪意識については、トマ・ピケティもまた、ベストセラーとなった『21世紀の資本』の中で、こう指摘している。

率直に言わせてもらうと、経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った臆測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究や他の社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題にばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、科学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずにすませているのだ。
トマ・ピケティ『21世紀の資本』(2014年、みすず書房)P34〜35

ピケティの言う「数学への偏執狂」とは、DSGEモデルのような「ミクロ的基礎づけ」の理論への固執のことであろう。そして、「ミクロ的基礎づけ」の理論を共有していることが、経済学者たちの強固な内輪意識の源となっているのである。

問題は経済学者の閉鎖性

その一例を示しておこう。

土居丈朗・慶應義塾大学教授は、2016年の米国経済学会において、財政出動の是非を巡る経済学者たちの論争を聴いた際の感想を、こう述べている(ちなみに土居氏は、伊藤氏同様、熱心な財政健全化論者である)。

この議論を拝聴して、意見の相違は残ったままだったが、建設的で示唆深い議論にすがすがしさを感じた。パネリストは皆、大学院で教育を受けて経済学の博士号を持つ共通の学問的裏付けがあり、ミクロ経済学やマクロ経済学という演繹法的な基礎理論に基づく点で共通している。演繹法的な立論であるため、まったく同じ理論に基づいていても、現状認識や前提条件が異なれば、結論が異なりうるという議論の大原則がある。
日米で違いすぎる「反緊縮財政」を巡る議論(東洋経済オンライン、2016年1月11日配信)

土居氏は、米国経済学会における論争に「すがすがしさを感じた」理由として、パネリストたちが皆「経済学の博士号」を持っており、その議論が「演繹的な基礎理論」に基づいているからだとしている。その「演繹的な基礎理論」とは、「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」のある理論のことである。

筆者の著書『富国と強兵 地政経済学序説』では、ローマーの批判を取り上げている(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

要するに、この米国経済学会の論争とは、「経済学の博士号」を持ち、「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」を共有することで一枚岩となった、閉鎖的な経済学者の仲間内での論争だということだ。

土居氏がその論争に「すがすがしさを感じた」のは、土居氏自身が、この非現実的な理論を共有する閉鎖的な経済学共同体の一員だからにほかならない。しかし、その経済学者の閉鎖性を、ローマーは問題視しているのだ。

ローマーは、講演の聴衆に対して、こう問いかけている。「あなたは、医療科学よりも、ワクチン反対派やホメオパシー派の友人を重視するような医者に、自分のお子さんの治療を任せられますか?」と。

ローマーの批判は辛辣を極めている。だが、彼の知的誠実さは、確かにノーベル経済学賞に値するだろう。

(文中敬称略)

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