「R32GT-R」が今なお200万円以上で売れる理由 伝説のクルマはいかにして生み出されたか

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グループAによる全日本ツーリングカー選手権は、1993年に終焉を迎えた。そして、R33スカイラインへモデルチェンジをするのが、同年である。R33スカイラインのGT‐Rが登場するのは、1995年のことだ。世界的なツーリングカー選手権は、排気量2000ccの自然吸気エンジンを搭載した4ドアセダンで開催されるようになり、GT‐Rが戦うべきレースはなくなった。とはいえ、熱狂的なR32GT‐R人気をそのままで終わらせることはできず、R33GT‐Rが誕生することになる。

しかしすでに戦いの場を失ったGT‐Rの母体となるR33スカイラインは、車体寸法が大きくなり、荷室も容量を増やしてゴルフバッグが4個積めるようになった。R32GT‐Rで培われた高性能エンジンを搭載したとしても、GT‐Rが目指すべき目標が失われたといって過言ではない。

それは、R34GT‐Rについても同様と言えた。R32GT‐Rの時代からドイツのニュルブルクリンクを走る能力を備え、その周回タイムを更新することも行われてきたが、何を目指したのか? 目標を失ったGT‐RはR32時代ほどの存在意義を持ちえなくなったと言える。

「時速300kmで会話を楽しめる」ことを目指す

現在のR35GT‐Rにおいても、しのぎを削る戦いの場を持っているわけではない。ただ、R33~R34GT‐Rに比べ、日産スカイラインという上級4ドアセダンの枠組みを外れ、世界のGT(グランドツアラー)と競合し「時速300kmで会話を楽しめる」ことを目指すとした、開発責任者、水野和敏氏の目標は、明快だった。そして、ニッサンGT‐Rと名乗ることにしたのである。

スポーティなステアリングやセンターコンソールの3連メーターなど、オーナーの心をくすぐるコクピットだ(写真:日産自動車ニュースルーム)

その性能目標達成のため、サーキットを徹底的に走り込み、ニュルブルクリンクを開発の場として駐在し、ドイツの競合車と肩を並べる高性能と安定性を確立した。また、あえてヨーロッパのレースへも参戦し、ポルシェなどと競うことも行った。

だが、レースで勝つという単純明快で、なおかつ結果が明白になる目標へ向けての背水の陣というか、生死を分かつほど追い詰められた状況で性能を作り上げていったR32GT‐Rに比べれば、クルマに込められた必死の思いは弱かったといえるかもしれない。

R32GT‐Rに乗ると、当時の開発者たちの後へ引けぬ緊迫感が伝わってくる。イグニッションキーをひねり、エンジンが始動した途端に鳥肌が立つほどである。

R32GT‐Rへのあこがれや、いまなお高い価値が見いだされている理由は、ハコスカ時代の名を汚すことなく、ただひたすら勝利を目指した純粋な思いが、その姿かたちから機能・性能に至るまで魂となって宿っているからではないだろうか。

御堀 直嗣 モータージャーナリスト

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みほり なおつぐ / Naotsugu Mihori

1955年、東京都生まれ。玉川大学工学部卒業。大学卒業後はレースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい。趣味は、読書と、週1回の乗馬。

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