「親の延命治療」に苦悩した人の偽らざる本音 「なんでもしてください」は本当の愛情なのか
たまに実家に帰ったとき、ふと見た親の背中に老いを感じたことはないだろうか。まだまだ元気だと思っていても誰にでも最期は訪れる。団塊の世代800万人が75歳以上になる2025年以降、親の介護や看取りに直面する家族はいっそう増えるだろう。
7月30日発売の『週刊東洋経済』は、「親の看取り方」を特集。当社のメールマガジンでアンケートを行ったところ、「終末期の医療やケアについて親と話し合ったことがありますか」という質問に対し、「まったく話し合ったことがない」という人が58%、「詳しく話し合っている」という人は5%だった(「一応話し合っている」は37%)。
「親が元気なのに、縁起でもない話はできない」と思われるかもしれないが、命の危機が迫った状態では4分の3の人が自分の意思を伝えられない。事前に親と何も話し合っていなければ、実際は家族らが医師と相談して生命に関わる判断を迫られる。
親と自分の希望を混同する子ども
看取りのリアルは、メルマガアンケートに寄せられた親の看取りを経験した約600人の回答から見て取れる。数ある中で多かったのが、延命治療についての苦慮だ。具体的には以下のようなものだ。
「私は母の胃ろうを拒否するつもりだったが、いざ容体が悪化すると、できるかぎりの治療をしてしまい、つらい思いをさせた」(50代 女性 愛知県)
「積極的な延命治療はしないと話し合ってきたのに、後から思えば母に不要な点滴を続けて水ぶくれのようにして苦しませてしまった」(60代 女性 香川県)
「父の末期段階で、医療職の私は『回復しないなら処置なしがベター』と頭では理解していたが、兄弟の思いや地域性を考えて、経管栄養を選択した」(40代 男性 群馬県)
ここで看取り経験者の方が言う延命治療とは、医師が治る見込みがないと判断した高齢者に対し、胃ろうなどの人工栄養や人工呼吸器などで寿命を延ばすもの。親本人が事前に意向を表明しておらず、意思表示が難しい状態では、延命治療を行うかどうかは家族が医師と相談して判断することとなる。
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