日本のエリートに欠ける「本質」見抜く力の源

徹底的に思考して言葉にすることが必要だ

特に欧米では、大学の4年間をかけて、このリベラルアーツをみっちり学ぶ人も多い。アメリカにはこれらを学ぶことが目的のリベラルアーツ・カレッジも数多くあるほどだ。仕事に用いる知識やスキルである、法律、経済、会計、経営などは、その後の大学院で学ぶのである。

ちなみに教養とは、決して知識を丸暗記していることではない。難解なラテン語の詩の一節を口ずさめるとか、中世のマニアックな楽曲を知っているとか、そういうことでもない。

教養とは、何らかの物や事柄について考えるための基礎となる知識や思考の型のことだ。多様な文化や歴史を知り、世界について考えるための力であり、5年、10年先まで見渡すことのできる思考のベースとなるものを指す。これからのビジネスパーソンに必須のリテラシーであるといってよい。その基礎にあたるのが、哲学だと私は考えている。

そもそも古代ギリシアの哲学者、アリストテレスが示したように、哲学はもともとあらゆる学問の母であった。

「哲学する」とは何か?

そもそも哲学とは何なのか? ひと言で言うと、哲学とは物事の本質を探究する営みである。つまり、自分を取り囲むこの世界を、言葉によって理解し、意味づけるための道具だといってよい。とりもなおさずそれは、概念の創造であり、ひいては世界そのものを創造することでもある。それを思考という動作を徹底的に繰り返すことで成し遂げるのである。それをやるためには、最低限の知識が必要になる。ただし、哲学史や哲学用語を学ぶことが、ゴールではないので、注意が必要である。

私は大学で1年生に哲学を教えるときにも、哲学そのものを学ぶのではなく、「哲学する」ことを学ぶのだと強調するようにしている。なぜなら、彼らは哲学というとすぐに暗記科目だと思い込むからである。おそらく高校の倫理がそうだったから、同じように考えてしまうのだろう。

しかし、哲学は高校で習う倫理とは180度異なる科目である。なぜなら、高校の倫理が知識を身近にするのに対して、哲学はむしろ「疑う学問」だからだ。これが哲学するということの最初の意味である。

「哲学を学ぶ」というのであれば、別に知識を伝えてそれを知ってもらえば十分である。しかし、「哲学することを学ぶ」ためには、それではいけない。物事の本質を探究するためには、そのためのプロセスを修得してもらう必要がある。それは、

「疑う」
「関連させる」
「整理する」
「創造する」

というプロセスにほかならない。さらに付け加えるなら、最後にその思考の結果を

「言葉にする」

ことである。

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