ハーバード大学「アジア系差別」の深すぎる闇 「人格点」がほかの人種より低いので不合格?
「自分の人種について考えなければならないことに気がつきました。こんなことは言いたくないけれど、黒人の欄に印を付ければ合格の可能性は上がるかもしれないけれど、アジア系に印を付ければ下がってしまうかもしれない」。ナターシャの母はアジア系で父は黒人だったのだ。
アフリカ系に印を付けるようにと母からも言われたとナターシャは言う。
「そうしたいのは山々だけれど、道義的に正しいことなんだろうかと悩んでしまう」と彼女は書いた。
何人かからアドバイスが寄せられたが、アフリカ系に印を付けろという人はいても、アジア系だけに印をつけろと言った人は誰もいなかった。
ナターシャはアドバイスに従ったが、内心忸怩たる思いもあったようだ。
「黒人にだけ印を付けたことに罪悪感を少し感じているのは事実だ。なぜなら私は、合格のために印象をよくしようと、自分自身の一部をわざと否定したのだから」と彼女は語ったという。
アメリカ人は一人ひとりが「人種のるつぼ」
アメリカ人を民族や人種のカテゴリーで分断してもこんな悲劇が生まれるだけだ。ナターシャは自分の仲間を否定させられただけではない。自分自身をも否定させられたのだ。
ハーバードなどの大学は、アジア系学生への差別などないと主張するかも知れない。だがナターシャとその母、そして掲示板にいた学生たちは真実を知っている。
象牙の塔のエリートたちが分かっていないこと、それはアメリカ人のほとんどがナターシャと同じであることだ。私たちの大半はまさに「人種のるつぼ」そのものなのだ。
私はレバノン人とイタリア人とドイツ人の血を引いているし、妻はスカンジナビア半島の出身者とアイルランド人、それにアメリカ先住民の血を引いている。うちの娘が大学を受ける時には、いったいどこに印を付ければいいのだろう?
人種や民族を1つだけ選ばせるなどばかげている。娘が特定の人種を選択して何か得をするとしたら、ハーバードをはじめとするエリート教育機関の中の人たちには明らかな偏見があることになる。
裁判所がはっきりと、そんなことを続けている大学は「頑迷」以外の何ものでもないと指摘してくれることを願ってやまない。
〔文:リー・ハビブ(セーラム・メディア・グループ副社長、
ラジオ司会者)、翻訳:村井裕美〕