ビー氏はイバンカ氏に放送禁止用語を使ったことについて後に謝罪したが、ビー氏による批判とは、イバンカ氏は父親の移民政策にもっと強く反対すべき、というものだった。血筋ではなく、政策をけなしたのである。対して、バー氏はジャレット氏の肌の色をからかい、猿と呼んだ。これは政治とは何の関係もない。人種差別だ。
公人が自分の考えについて批判を受けるのは当然である。この点で公人を保護する必要はない。だが、出自を持ち出して人を批判するのは野蛮なだけでなく、危険だ。
トランプ氏のツイートの危険性
「言論の自由」を米国ほど明確に法律で保障している国はない。もちろん、バー氏の番組が打ち切りになったのは法律的な判断の結果ではない。エンターテインメント企業やマスコミは世論を気にする。ある人物の言動が世の中を騒がせた場合、商業的な理由からその人物を降板させることはよくある。
言論の自由の許容範囲は、その人の社会的地位や発言の状況によっても変わる。コメディアンなら許される発言でも、政治家が口にすれば大問題になるだろう。トランプ氏がホワイトハウス入りするまで、大統領の言動には一般人より厳しい規範が適用されていた。
仮にバー氏が、役柄の「ロザンヌ」として語ったことが原因で番組が打ち切られたのだとしたら、バー氏は抗議することもできた。過激な発言も演技の一部だ。
あるいは、仮にバー氏の発言が私的な会話の中のものだったとしたら、ここまで大問題にはならなかっただろう。問題はツイートが、私的であるのと同時に公的なものであることだ。一種のリアリティ番組といえるかもしれない。かつてリアリティ番組に出演していたトランプ大統領にとっては、まさにおあつらえ向きのメディアだろう。ネットなら、どんなに醜悪な考えでも無制限に発信できる。
民主主義国の中で、米国は最も大きな影響力を持っている。だが、その意思決定は今や、大統領のツイートに基づいて行われるようになっている。トランプ氏の無知な気まぐれやむき出しの偏見は、「ロザンヌ」と同じくらい奇抜で危険だ。しかし、一つ大きな違いがある。コメディアンのバー氏と違って、トランプ氏のツイートには世界の運命を変えてしまう力があるということだ。
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