JR山手線の色はなぜ「黄緑色」になったのか 「路線別カラー」の始祖は山手線だった

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ただ、オレンジと緑の「湘南電車カラー」がその後は東海道線以外でも見られるようになったように、国鉄は「近郊型車両」や「特急電車」「急行用ディーゼルカー」といったように、車両の機能や性能によって色を変えていた。国鉄は全国組織であり、車両が全国各地に転属することも多かったためだ。

だが、首都圏の通勤路線に関しては、先の星氏の回想にもあるとおり、山手線にウグイス色の電車が入ったことで「線区別に電車の色を変える構想」が生まれることになった。この色分けにより、誤乗防止の対策も可能になっていった。現在に至る「ラインカラー」の始まりだ。

こうして、103系が次に投入された京浜東北線ではスカイブルーの「青22号」塗装が採用され、常磐線に103系を投入する際はエメラルドグリーンの「青緑1号」と、各路線によって明確に異なる塗装を採用するようになった。ちなみに、常磐線にエメラルドグリーンを採用した理由は「当時の宝石流行の世相に合わせて」(『鉄道ジャーナル』1985年3月号掲載の星晃氏回想録)だという。

山手線の「黄緑色」が果たした意味

これ以降、さまざまな線区でラインカラーの思想は広まっていった。星氏は上記『鉄道ジャーナル』の記事で、「トップの積極的な方針のもとに進められてきた首都圏国電の線区別カラーもすっかり定着し、いまでは改めて不思議に思う人もいないのであるが、これなどは車両の外部色が都会の交通機関として明るい存在であり、かつ誤乗防止のためにもほんとうに日常の旅客サービスに役立っている事例として、世界でもまことに珍しい効果をあげていると思う」とふりかえっている。

「ラインカラー」の思想は、現在では大都市圏全体で鉄道会社の枠を超えて広まった。営団地下鉄(現・東京メトロ)と都営地下鉄は1970年にラインカラーを導入。地下鉄の車両も路線ごとに異なる色を車体に入れている。JR発足後は、南武線や横浜線・京葉線・武蔵野線・埼京線に新しいラインカラーが導入され、現在ではすっかり定着している。海外でもラインカラーは大都市の地下鉄などで採用されているが、車両をその色に塗るという発想は珍しい。

山手線がウグイス色になったのは、簡単に言えば「たまたま」だ。特に沿線の風物にちなんだといった理由があるわけではない。だが、路線別に違うカラーリングを車両に施すようになったのは、山手線がきっかけといえる。その意味で、山手線のウグイス色は、画期的な色であったのだ。

小林 拓矢 フリーライター

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こばやし たくや / Takuya Kobayashi

1979年山梨県甲府市生まれ。早稲田大学卒。在学時は鉄道研究会に在籍。鉄道・時事その他について執筆。著書は『早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした』(講談社)。また ニッポン鉄道旅行研究会『週末鉄道旅行』(宝島社新書)に執筆参加。

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