難民申請が通らなかったら…その過酷な末路

退去強制の対象となって収容施設行きに

ユセフ・ジュディさん(写真:「リディラバジャーナル」編集部)

「シリアに帰りたい。でも現在の状況では帰ることはできない」と訴えるユセフ・ジュディさん。シリア内戦でアサド政権による弾圧を逃れて日本に来たものの、「難民」とは認められませんでした。

ジュディさんは日本で暮らしはじめて5年が経ちます。しかし、自らに与えられた在留特別許可は1年ごとに更新をしないといけないなど、現在にいたるまで不安定な生活を送っています。

母国に残した家族は呼び寄せることができず

「ジュディさんは難民申請をした当初、難民と認定されるものだと希望を持っていました。しかし一向に認定されず、次第に苛立ちを募らせていきました。彼は来日当時アラビア語しか話せず、日本で生活をしていく上でもコミュニケーションの問題を抱えていた。それでも早く家族を呼び寄せて一緒に暮らしたいと、しきりに訴えていたことを覚えています」

2012年8月に来日したジュディさんの生活のサポートをしていたカトリック東京国際センター(東京都品川区)の有川憲治さんは、当時の状況をこう話します。

当記事は「リディラバジャーナル」からの転載です(元記事はこちら)。同サイトは有料会員制メディアです。なぜリディラバが、課金型メディアに挑戦するのか。どのようなメディアを読者と作り上げていこうと考えているのか。リディラバの考え方はこちらを御覧ください。

来日した当時は身寄りもなく、来日後2カ月間、成田空港に留め置かれたジュディさん。その後、一時庇護上陸許可がおりたことで、NPOらが共同運営していたシェルター(避難所)に移りました。

そして翌年の2013年3月、難民認定を受けることはできませんでしたが、人道配慮による在留許可を与えられ、シェルターを出ました。しかし難民として認められていなかったため、母国に残した家族は呼び寄せられませんでした。

2年近く家族に会えない日々が続きましたが、難民支援協会などの尽力により、異例の措置でジュディさんは家族を呼び寄せることができました。現在は埼玉県内で妻と3人の子どもとともに暮らし、カフェ経営などで生計を立てています。

ジュディさんの兄弟は、イギリスで難民認定を受けていました。ジュディさんも当初はイギリスを目指していましたが、現在はパスポートを失っていることもあり、日本を離れられないでいます。

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