32歳、飲み屋で歌って生計を立てる男の大望 高校中退、会社勤め、結婚を経てたどり着いた

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それまで流しという職業を意識したことはなかった。ただ、この界隈で流しとして活動したら、業界人に顔を覚えてもらってバンドとしてのメジャーへの道が開けるかもしれない。期待を胸に流しの先達に会いに行くと、ありがたいことに「君もやってみない?」と誘われた。そして1週間後、四元さんは流しとして新宿の街に立っていた。

初日はとてつもなく緊張して吐きそうになったのを覚えている。まったく声がかからないかもしれないし、周りから迷惑がられるかもしれない。飲み屋街で求められそうなレパートリーはどうにか頑張って30曲程度しかなかった。「なんだアレ弾けねえのかよ」と失望されたらどうしよう……。現場についてギターをセットし、歌い始めるまでに30分かかった。

本領を発揮すればこっちのもの

しかしいざ歌い始めると、目を細めて聴きいってくれる人や、うれしそうな顔で手拍子を打ってくれる人が多かった。向こうのテーブルから面白がって顔をのぞかせる人も見える。演奏を終えると拍手をもらえた。なかには終始ピンとこない感じのお客もいたが、ギターのヘッドに挟んだ千円札は確実に増えていった。まがりなりにも流しとしての形は最初からできていたといっていい。何しろ弾き語りのキャリアは20年近くある。本領を発揮すればこっちのものだ。

別日に撮影した流し中の四元さん。ギターのヘッドに千円札を挟んでいる(写真:筆者撮影)

それからは残業のない日は飲み屋街に流しに出掛けるのが日課となった。正直なところ、バンドの宣伝にはなりそうもない。飲み屋のお客さんは愛着のある曲を生演奏で聴くからおカネを払うのであって、バンドのオリジナル曲に関心を持ってくれることは本当にまれだから。けれど、音楽家としての四元さんの自信を少しずつ回復してくれた。最初は週に1~2回だったがしだいに増えて週3~4回立つことも珍しくなくなった。

母親には退職を事後報告した。「バカね。奥さんがかわいそう。みたいなことを言われました」という(写真:村田らむ)

そんな頃に会社が繁忙期に入って、1カ月間一度も流しに行けない月があり、吹っ切れる。

「このままうだつが上がらずに鬱々とするんだったら、遠慮せずに好きなことをやろう。最悪うまくいかなかったら、そのとき考えればいいやってなりました」

毎月の流しの売り上げをみると、専業で続ければ何とか食べられるくらいの収入にはなりそうだ。バンドは休止状態になってしまったが、もはやバンドの販促のためという名目はない。純粋に流しとして後悔のないところまでやってみたい。奥さんに相談すると、真剣さを酌み取ってくれて首を縦に振ってくれた。すぐさま辞表を提出し、その2カ月後に退職する。2016年10月、30歳になっていた。

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