32歳、飲み屋で歌って生計を立てる男の大望 高校中退、会社勤め、結婚を経てたどり着いた

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新卒の社会人らしく職務に燃える一方で、音楽の練習も手を抜かなかった。出勤する前は寮の近くの森林の中で1時間ほどギターの練習をして、シフトによっては終業後もまた練習する。ギターに触れない期間が長引くと、腕がなまるし演奏するまでの腰も重くなる。受験勉強時期や就職後しばらくの缶詰期間の経験から、習慣的に弾いていないと音楽をやるまでの摩擦係数が増えてしまう嫌な感じは身にしみてわかっていた。

今はホテルマンとして燃えている。けれど、いずれは音楽で食べていく。

どちらも真剣に向き合っているが、いずれはどちらかをとらなければならなくなる。そんな矛盾をはらんだ生活とついに折り合いがつかなくなったのは就職して3年目に入ってすぐのことだった。2012年6月にホテルを去ることになる。

「今思えば若気の至りなんですけど、旧態依然として僕たちの意見を受け入れてくれない上層部への不満が募っていたのが大きかったです。あと、東日本大震災以降に自分自身のことをいろいろ考えるようになったのも少なからず関係していますね」

今ある仕事にやりがいを感じてはいても、いつか総支配人になって理想のホテルを実現するような自分の姿は浮かばない。短期的な熱中と長期的な展望が結び付かない感じがつねにあった。ならここにいても仕方がない。だから辞めた。ただ、音楽で食べていくというのも学生時代と同じく「まだ無理だな」だった。

自分が疫病神なんじゃないかと落ち込む日々

次の就職先は間髪入れずに見つかったが、ここから1年の間に4社を転がることになる。

最初のIT系ベンチャーには新規事業の営業職として雇われたが、その新規事業が企業買収の失敗で頓挫。その影響で2カ月後には会社自体が潰れてしまった。仕方なく学生時代にバイトしていた銀座の鉄板焼き店に頼み込んで働かせてもらったが、経営者間の不和が原因でこちらも2カ月で閉店。その後、交通量調査のバイトで食いつないでいると、友人が就職先の映像制作会社に誘ってくれて、都合4社目の入社を果たす。

そこでの下働きは過酷を極めた。日常的に怒号が飛び交う職場で、下っ端は上司の朝令暮改の繰り返しで仕事が滞っては責められるのが当たり前の世界。体系的に仕事を教えてもらえる環境は望むべくもなく、ただただ心身を疲弊させていった。

「2012年は、自分が疫病神なんじゃないかと本気で思うくらい落ち込んでいました。ITベンチャーに入社した頃までは社会人としても自信満々だったんですよ。それがまったく通用しなくて、映像制作会社では毎日のように『お前はクソだ』と言われて、そうだなあ……なんて思ったりして」

それでも音楽だけは続けていた。続けてはいたが、日々の状態と連動してミュージシャンとしての自信も半ばなくしてしまっていた。もはや、アンデンティティをつなぎ止める細い糸くらいの状態になっていたのかもしれない。

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