「相撲は国技」の看板を信じてはいけない理由 もめ事こそ、相撲界の「伝統行事」である

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さて、「相撲」はいつからあるのか? 日本最古の相撲と言われる、当麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の戦いは、垂仁天皇7年(在位99年、140歳で崩御とされる天皇の時代)のこと。勝った野見宿禰が、相撲の始祖とされている。

ちなみに、469年(雄略天皇13年)には「采女(女官)の着物を脱がせて、相撲をとらせた」とある。女相撲だ。まあ、これは余興のようだが(というか、現代の感覚ならセクハラである)。それを記述した『日本書紀』(720年)が「相撲」という言葉の初出だ。

その後、五穀豊穣や一年の吉兆を占う「神事相撲」となって、何度も開かれるようになる。

これがやがて平安期、宮中行事の「節会(せちえ)相撲」になる。しかし、まだ土俵も行司もない。だから当然、土俵上の“禁忌”もない。

土俵の誕生は、室町時代末期の永禄年間(1558~1570年)のこと。織田信長が活躍していた頃だ。信長の相撲好きは有名で、『信長公記』には行司の始まりが書かれている。この頃はすでに宮中行事よりも、鍛錬重視の「武家相撲」が盛んだった。

江戸時代に入ると、一般客に相撲を見せる「勧進相撲」が人気になる。名目上は寺社の建立や修復の費用集めだから「勧進」で、開催場所は寺社境内。が、実態は興行だ。現在われわれが知っている相撲の形は、ここから。興行だから「女相撲」もある。もっと見世物色の強い相撲もあった。

明治にもあった相撲業界の不祥事

だが明治に入って、相撲は苦労する。なにしろ、ザンギリ頭に洋装の文明開化時代に、髷を結ったハダカの男が取っ組み合いをするのだ。「未開野蛮なものであり、文明人がやることではない」、と明治初年には相撲廃止論がおきた。

1872(明治5)年、東京府が「違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)」を出す。これは当時の軽犯罪法みたいなもので、その中に「人前で裸体になるな」「男女相撲を見世物にするな」というのがある。前者は相撲の全否定。後者は、それまでやっていたということだ。そこで相撲界は、町内警備の力士消防組織を作って存在価値をアピール。女相撲は東京以外の地で生き延びた。

当然、力士たちの生活は貧窮。不明瞭な会計に、運営幹部と現場の力士たちがもめる。改革をとなえた力士は除名されたり、分離独立したり、復帰したり……。実は、こういうドタバタはその後何度もある(1932年の「春秋園事件」が有名)。つまり、相撲界がもめるのは、ある種「伝統」なのだ。

ともあれ、1878(明治11)年、相撲興行は警視庁公認となり、廃止論はようやくおさまる。そして1884(明治17)年、天覧相撲が盛大に行われて相撲人気が復活する。これは、前年にできた「鹿鳴館」による陳腐な西洋化への反動もあるのだろう。

そうして、「国技館」に至るのだ(1909年)。

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