SLやまぐち号、「D51」投入で人気最沸騰 C57との重連走行が実現、客車も一新

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翌日に開催されたSLサミットは、SLが運行される自治体同士が集い、まちづくりを語る趣旨で開催された。サミット会議は関係者だけでの協議だったが、会場となるホールでの歓迎イベントと、サミット開催の記念式典は一般入場ができた。クラシック奏者のユニットで鉄道色満載のスギテツミニライブや、“呑み鉄”を標榜する個性派俳優の六角精児氏、スギテツメンバーの杉浦哲郎氏、そして京都鉄道博物館副館長藤谷哲男氏によるトークセッションには鉄道ファンも聞き入っていた。

今回山口線にデビューしたD51 200(撮影:久保田敦)

「ナンバープレートの色差しは元は全般検査を受けた際の目印として生まれた慣習で、次の中間検査を経ると元来の黒に戻された」との藤谷氏の話は興味深い(優等列車の牽引に適した、所属区の中でも優良な整備状態の車両に差した区もあると聞く)。

こうした前段を経て、SL「やまぐち」号のD51形200号機牽引による初営業運転、およびC57形1号機との重連運転は繰り広げられた。25日、その出発式ではくす玉開花が行われ、腹に響く太鼓演奏の中、普段の数倍もの盛大な見送りを受けて、列車はスタートした。

重連運転で山口線に新たな歴史

満席となった車内では、津和野へと多くの観光客を乗せる列車らしく、沿線や機関車の要点が紹介される。ことに26日は、重連を組む2両分の解説が行われた。

昭和初期の客車を連想させるスハテ35 4001(撮影:久保田敦)

――C57形は昭和12(1937)年から製造され、優等列車を牽引する花形機関車として四国を除く全国で活躍。1号機は昭和54(1979)年のSL「やまぐち」号運転開始以来38年間、山口線の顔として走り続けている。D51形は昭和11年に登場し、昭和20年まで1115両が製造された貨物用機関車で、機関車と言えばD51と言われるほどポピュラー。200号機は昭和13(1938)年国鉄浜松工場で製造され、名古屋地区を中心に活躍。昭和47(1972)年に梅小路蒸気機関車館に入り「SLスチーム号」で運転されてきたが、大修繕を経て本線運転が行われることとなった。D51形は山口線でも昭和48年まで使用され、今回の運転は44年ぶり。全線開通94年を迎えるが、C57形とD51形の重連運転で新たな歴史を刻むことになった――と。

補足すれば、SL「やまぐち」号(以下、「やまぐち」号)には元来の牽引機C571のほかにC56160が充てられていたが、小型のC56による運転ではDD51の補助が必要であり、機関車自体の状態も各部万全に更新されているC571に対して、国鉄時代のまま老朽化が進んでいる。そこで勾配運転等も勘案してD51に白羽の矢が立てられた、と聞いた。

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