介護離職シングルマザーがハマった貧困の罠

「振り返れば貧困を回避する選択肢はあった」

東京出身、バブル世代に多かった恵まれた中流家庭育ちだった。父親はマスコミ関係者、中学からお嬢様系の有名一貫校に通った。まじめな性格で成績もよく、指定校推薦で有名私大に進学した。就職のときは空前の売り手市場で、1部上場企業から何社も内定をもらった。

「元夫との結婚は27歳で、同じ会社でした。結婚と転勤がきっかけで会社は辞めました。夫は当時年収500万円くらい。私はパート程度で、全然普通の暮らしができました。29歳で出産して、33歳で離婚です。元夫はバツイチで、元奥さんに子どものことを相談されたとかで頻繁に会っていた。それで気持ちが冷めてしまって、言い争いみたいなことが増えた。養育費もなにももらわずに離婚してしまいました。そのときは1人で娘を育てることはできると思っていて、不安はなかったです」

母子家庭になった。一度実家に戻り、生活を立て直した。隣県にある家賃3万円の公団住宅に申し込んだら当たった。また、公団の近くにある国公立大学の教授の秘書として採用された。正規雇用で年収400万円ほど。給与、児童手当と児童扶養手当をもらえば、生活に困ることはなかった。

「毎月、何万円か余るので貯金もできました。団地には母子家庭じゃなくても、働いているお母さんが多かった。休みの日、子どもの面倒をみるみたいな助け合いがあって助かりました。経済的には少し余裕はあったし、大丈夫かなと思って娘を私立中学に行かせました。自分もそうだったし、公立が荒れていたので」

姉の介護が始まった

進学した私立中学を聞き、驚いた。県内最難関の東大進学者も多い中学高校で、検索すると偏差値を70超えている。なにかがおかしくなり始めるのは娘の中学進学の頃。まず、実家の父親が亡くなった。

「娘が中学1年のとき、父は亡くなった。私に2年年上の姉がいて、姉は精神的に問題を抱えていた。大学卒業から仕事をしないで、ずっと実家にいました。数年前に亡くなった母の代わりに家事をして、父がいなくなって1人になった。もともと危うい状態でしたが、1人になって本格的に病んでしまいました。つねに誰かがそばについていないと、という状態です」

27歳で家を出て、母子家庭ながら自立した暮らしをしていた。働いたことのない姉のことは心配で、実家の不動産など、財産の相続はすべて姉に譲った。

「家も姉に渡しました。それで父の死から2年後、関西の精神病院から私に電話がかかってきた。姉が入院して家族の方に来てほしいって。姉は実家を売ってマンションを買い、関西に引っ越していた。知らなかった。もう、こっちはなにがなんだかわからなくて、それから遠距離なのに姉の介護が始まったんです。とりあえず1年ぐらいは関西と行き来しながら仕事を続けました」

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