27歳で引退、「高卒ドラフト1位」が見た真実 プロ野球のルーキー選手たちを待ち受ける壁
鷲宮高校時代に150キロ近いストレートを投げ、県立高校を埼玉県大会決勝まで導いたが、全国的には無名。選手やスタッフの視線が痛かった。「ドラフト1位はメディアに囲まれて、なかなか身動きが取れません。下手なことはできないなと思いましたし、緊張しっぱなしでした」と増渕は言う。
増渕がグラウンドでいちばん驚いたのは、ストライクゾーンの狭さだった。高校のときよりも、1個半くらい違ったという。キャンプでプロ野球の審判の判定を聞いて「えっ、そこがボールなのか?」と戸惑い、コントロールに自信がなかった増渕は不安を感じた。
しかし、そのときはコーチの言葉に救われた。「おまえは、コースを狙わなくていい。真ん中を狙って腕を振って投げろ」という指示どおりのピッチングをしているうちに、コントロールを気にしすぎると狙ったところに投げられず、思い切って投げたときにはいいコースに決まることに気がついた。
当時の古田敦也監督には「力のあるストレートと、ストライクを取れる変化球が2つあればなんとかなる。あとはキャッチャーの仕事だ」と言われた。長所を見失うことなく、新しい武器を身につけるようにというアドバイスだった。
増渕は、150キロを超えるストレートとスライダー、シンカーを武器に、一軍で実績を積み上げていった。
「おまえは結果を気にしちゃいけないピッチャーだ。コースを狙うんじゃなくて、ストライクゾーンの上か下か、右か左でいいから」
当時の荒木大輔投手コーチの言葉によって、自分のピッチングを確立できたと増渕は考えている。
「いつかクビになる」という危機感
当時のことについて本人はこう振り返る。
「プロ野球のピッチャーにとって大切なのは、コントロールとキレなんですよ。でも、コントロールを意識すると、どうしてもスピードが落ちます。だから、ガムシャラに力一杯に投げ込むように心がけました。最初のうちはそれでよかったのですが、そのうちにバッターが僕のボールに慣れてきて、なかなか抑えられなくなり、思い切り投げたストレートが打たれることが増えてきました」
「そうなると、スピードを維持したまま、コントロールをつけないとプロの世界では生き残れないと思うようになりました。毎年、いいピッチャーがドラフトで入ってくるので焦りもありました。『いつかクビになるんじゃないか』という危機感も」
先発でもセットアッパーとしても実績を残した増渕だったが、2014年3月にファイターズにトレードされ、2015年限りでユニホームを脱いだ。9年間のプロ野球生活で残した成績は15勝26敗、防御率4.36。どうして、27歳の若さで引退したのか?
「先発、中継ぎの両方を任されることは光栄なことでしたが、心のコントロールが難しかったです。僕の技術不足がいちばんの原因なのですが、先発と中継ぎを両方やるときに、力の配分がうまくできなかった。中継ぎはつねに全力で、先発ならスタミナ配分を考えながら投げなければいけないので。2013年には、自分のピッチングを見失ってしまいました。そのころ、イップスになりました」(増渕)
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