諮問機関の「ノー」を覆す、ダム論争で露呈した河川行政“復古”の歪み
河水の浸透・浸食や大洪水に対して、委員会は国交省側が保証する一定水位(計画高水)より高い水位分で堤防の整備・安全性を要求している。これに対し、近畿地整は計画高水までの堤防の安全性は保証するが、それ以上の高さの堤防部位の強化や耐越水堤防は現状の技術では困難であることを挙げ、今回の整備計画に盛り込むことを拒否している。
耐越水堤防整備にかかる事業費は最大3650億円、期間は最長195年との試算も委員会側の要求を受けて出したが、「(技術上)あてにできないことにあえて費用を算出した」という言い方からは近畿地整の不誠実さが感じられる。過大な数値を出しているのではとの疑問がぬぐえない。
河川整備のありよう次第で実際に恩恵も被害も受けるのは地域住民。その住民が納得のうえ河川整備のメニューを選択できるようにするためには、今回の例でいえば学識者の集う委員会に堤防強化の技術可能性やその費用に関する十分なデータを提供し、住民公開の下で検証できるようにすることだ。それが国交省の責務にほかならないが、言動からその責任感はいかにも薄弱に映る。
名物3知事が最後の関門
残る関門は、周辺府県知事の意見聴取のみである。合同意見書提出で合意した嘉田由紀子・滋賀県知事、橋下徹・大阪府知事、山田啓二・京都府知事の3知事の動きが今後の焦点だ。「ダムの必要性が納得できたわけではない」(嘉田知事)。知事たちの発言内容などからは、すんなり計画案承認となるかはいまだやぶの中。
近畿地整は知事の意見にかかわらず、計画を推し進める姿勢もちらつかす。現行河川法での最終決定権は確かに国交相にあり、法的に強行は可能だが、流域委員会に続き、影響力の強い3知事が反対となれば、地域世論という別の力学も働く。
そもそも根本に立ち返って、痛みや恩恵も被る流域地域でない国が河川整備を決めることの是非を考える必要がある。河川法では一級河川と二級河川に分けて、二級河川の河川運用者(整備計画決定権を持つ)は都道府県に委ねている。一級河川は上流・中流・下流など都道府県・市町村の利害調整があり、河川運用者としての国にそこを委ねているが、河川法改正の趣旨をないがしろにし、国交省が住民意思の反映を形骸化し続けるならば、その抜本的是正が必要になってくる。
一つの提案は、河川法の改正だ。07年7月に日本弁護士連合会が出した河川法改正の提言の柱には、「河川流域委員会」の強化が据えられた。学識経験者に地域住民をもメンバーに加えた法定の常設的協議会と位置づけ、河川整備計画の方向性を左右する河川整備基本方針に関しても河川運用者に意見を述べる。「河川運用者は流域委員会の意見を尊重するものとする」との条文を設け、その権限を強化する内容だ。さらに付け加えれば、国交省から必要と思うデータや内部文書を強制提出させる権限の委員会への付与も不可欠だ。
もう一つの提案は、一級河川の管理権限を地方に下ろすこと。現実的には広域調整機能の点で橋下府知事も言う道州制と同時に議論すべきかもしれない。ただ、自分たちの河川にダムが必要か、別の整備メニューを選ぶかは、地域住民自らが決めるのがふさわしい。
地方議会で、専門家や住民の声を入れながら侃々諤々(かんかんがくがく)審議して決めればいい。地域の議会・首長の選挙争点にもなる。お役所のサボタージュによって現行法の運用では地域の本当の声が反映できないようならば、これも中期的に真剣に検討すべきテーマとなるだろう。
(大西富士男 =週刊東洋経済)
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