「家族11人殺された」ロヒンギャ少年の悲劇 被害難民が語るミャンマー軍の過酷な弾圧
モハマドは物陰に隠れて難を逃れ、無我夢中で走って逃げた。その後、叔父に連れられて国境を越えたが、ずっと裸足だったせいか右足をケガしている。12人家族でただ1人生き残ったモハマドは、聞かれれば言葉少なに答えるが、放心状態でずっと遠くを見ている感じだった。
兵士に棒で背中や腰を打ち据えられ、息子に背負われて逃げてきたものの寝たきりになった90歳のおばあさんは、言葉を発する代わりに何を思ったか、やせこけた右手を伸ばし、枕元に座る筆者の頭をなで続けた。家を焼かれたときに背中から左上腕部にかけて火傷を負った女性(60歳)、大腿部に貫通銃創を負った男性(50歳)、左脚を撃たれて歩行が不自由になった少女(13歳)など数人の傷跡をこの目で確認した。
それでも「ミャンマーに帰りたい」
また、大量流入が始まった8月末から9月にかけて、難民の救護に当たったバングラデシュ側の住民が撮影した写真を見ると、国境地帯に敷設された地雷を踏んで足を吹き飛ばされた犠牲者もいたようだ。
バングラデシュを訪問したプラミラ・パッテン国連事務総長特別代表は11月12日、ミャンマー軍兵士によるロヒンギャ女性に対する集団レイプなどの残虐行為が「組織的に行われていた」として強く非難した。筆者は被害女性の証言を直接得ていないが、そうした事件がいくらでもあったであろうことは想像にかたくない。
ロヒンギャ問題の背景については、識者による多くの解説があるので本稿では触れず、ノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチー国家顧問の責任うんぬんにも言及しない。ひと言でいえば、多民族国家ミャンマーで公認された約135民族の中にロヒンギャは入れてもらえず、市民権も参政権も認められない無国籍状態に置かれているということである。
何人かのロヒンギャ難民に「なぜロヒンギャはこれほど迫害されるのか」「あなたは自分をベンガル人、ロヒンギャ、ミャンマー国民のどれだと思うか」という2つの質問を繰り返してみた。
彼らの答えは一様に「私たちはミャンマーで唯一のイスラム教徒であり、ほかのミャンマー人とは見た目も文化も言葉も異なるから目の敵にされるのだろう」。そして「私はミャンマー国民だ。平和が戻れば1日も早くミャンマーに帰りたい。同時にロヒンギャであることにも誇りを持っている」と誰もが考えることなく即答した。
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