「家族11人殺された」ロヒンギャ少年の悲劇 被害難民が語るミャンマー軍の過酷な弾圧
そんな環境にもかかわらず、目先が利く難民は近隣で野菜や菓子、雑貨などを仕入れて商売を始めている。キャンプ内には、それなりに売り物がそろった市場、トタン張りの簡素なモスク(イスラム寺院)やマドラサ(イスラム学校)、NGOが運営する複数の診療所もあって、ちょっとした町というか、都市部のスラム街くらいに仕上がっている。
もっとも大半の家族は現金を持っておらず、国連世界食糧計画(WFP)のコメなどの配給に全面的に頼らざるをえない。難民たちは炎天下、WFPのピンク色の登録証を持って数百メートルの行列に何時間も並ぶ。
キャンプ内の秩序維持はバングラデシュ軍が担っており、列が乱れたり横入りする者がいたりすると容赦なく小枝のむちで打つ。少しやりすぎのようにも見えるが、そもそも最貧国バングラデシュが隣国からの爆発的な難民流入に対処していること自体、評価されるべきかもしれない。
「家族を殺された」相次ぐ証言
キャンプ内を歩き回って話を聞くうちに、「ミャンマー軍に家族を殺された」「撃たれた傷を見てくれ」などと訴える難民に次々と出会った。
ラカイン州ボリバザル地区から逃れてきたロンダ・バゴン(25)、ショフカ・バゴン(22)姉妹の村は、9月初旬のある朝、ミャンマー軍の攻撃を受けた。「兵士たちは家々を焼き払い、小銃やナイフで住民を手当たり次第に襲ったんです」。姉妹の両親とショフカの夫が射殺され、ロンダはのど元に2カ所、ショフカは頭部3カ所と右手に切創を負った。
2人はスカーフを外して傷跡を見せてくれたが、そろって魂が抜けたようなうつろな目をしている。ロンダ夫婦の1歳の長男も犠牲になったというので、どのように殺されたのか尋ねると、夫は無言のまま、両手で足を持って地面にたたきつける仕草を繰り返した。一方的な住民虐殺である。
隣のテントで暮らす農家出身の11歳の少年、モハマド・ウマヌンの証言も衝撃的だった。「朝7時ごろ、兵士たちが突然やってきて、家族全員を外に連れ出した。父さん、母さん、兄弟姉妹たちを1カ所に集めて一斉に撃ったんだ。みんな死んでしまったと思う」。
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