オーストリア、31歳首相がEUへ要求すること 自由党が連立入り、排外主義で東欧へ再接近

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オーストリアは人口の1割以上を外国籍者が占める。第2次世界大戦後の労働力不足を補うため、トルコや旧ユーゴスラビアから多くの出稼ぎ労働者(ガストアルバイター)を受け入れたことに加え、東ヨーロッパの諸国から多くの難民や移民を受け入れてきたことが背景にある。1991年から2000年にかけて続いた旧ユーゴスラビア紛争では、延べ10万人以上の難民がオーストリアに逃げ延びてきた。2004年と2007年に東ヨーロッパの旧共産圏諸国が欧州連合(EU)に相次いで加盟し、労働の移動の自由が保障された新規加盟国から、多くの移民労働者がオーストリアにやってきた。

2015年に欧州で難民危機が深刻化するはるか前から、オーストリアは難民や移民の問題と対峙してきたのだった。ハイダー党首率いる自由党が1999年の下院選で今回を上回る26.9%の支持を獲得し連立政権に加わったのも、その後自由党や同党を離党したハイダー氏が新たに旗揚げした未来同盟(BZO、OはO-ウムラウト)が安定した支持を得てきたのも、急増する難民・移民に対するオーストリア国民の不安と無縁ではない。

自由党躍進のもう1つの背景には、伝統的な2大政党が国民の利益代表として機能しなくなってきたことも関係している。

第2次大戦後のオーストリア政界は、都市部のブルーカラーを支持基盤とする社会民主党と、自営業者、農民、ホワイトカラーを支持基盤とする国民党の2大政党が、時に反目し(どちらか一方による単独政権)、時に手を携え(2大政党による大連立政権)、一貫して政権を担ってきた。この2党にドイツナショナリズムに起源を持つ自由党を加えた3政党が、勢力を争っている。ハプスブルク帝国以来のイデオロギーによって3つの「陣営(Lager)」に分断されているのがオーストリア政治の特徴とされる。

国民党は自由党を連立に加える可能性が高い

1980年代に入って環境政党である緑の党、1990年代には自由党内のリベラル勢力が作った政党、最近では新興のリベラル政党・新自由フォーラム(NEOS)などが議席を獲得しているが、いずれも3政党に取って代わる勢力にはなっていない。

ほかのヨーロッパ諸国では多くの場合、右派・左派いずれかの連立政権に加わる中道政党が存在するが、オーストリアには自由党以外の第3極が現れなかった。その担い手として期待された緑の党も今回、選挙戦直前の党分裂などで自滅し、1986年以来守ってきた議席を失った。

このように、長らく2大政党体制が続いてきたことへの不満が、批判政党としての自由党の存在を一段と際立たせている。ハイダー体制下での自由党や未来同盟の連立入りに懲りた2大政党は、過去2回の選挙で大連立を復活させたが、難民危機や汚職問題などで国民の間に不満が広がった。今回、任期途中で連立が崩壊して議会選が前倒しされたことを考えれば、三たび、大連立政権を発足させることは難しく、国民党主導の連立政権に自由党が加わる可能性が高い。

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