知られざる大動脈「神戸高速線」はどう変わる 阪急と市営地下鉄、直通実現なら何が起きる?
神戸高速自身は車両を所有しないばかりか乗務員もおらず、駅の運営や線路の保守などに専念していた。ゆえに「トンネル会社」という呼び名がついた。上下分離方式にともない車両の運行に専念する事業者を第2種、路線の保有のみを行う事業者を第3種と呼ぶようになったのは1987年の国鉄分割民営化以降であり、神戸高速鉄道はそれ以前から第3種鉄道事業者に相当した希少な鉄道会社でもあった。
当初の運行は、平日昼間を例にとると、阪神と阪急それぞれの特急が梅田から山陽の須磨浦公園まで乗り入れ、山陽は姫路発の特急と普通が阪神の大石および阪急の六甲まで乗り入れた。特急ではあっても、神戸高速鉄道と相手線内は各駅停車だった。南北線は湊川まで来た神鉄の全列車が新開地に乗り入れた。
しかし、現在はそうではない。以前と同じなのは神鉄全列車が新開地終点となっていることだけだ。路線名も神戸高速東西線・南北線とは呼ばなくなった。
阪神・淡路大震災後の変化
変化のきっかけは1995年の阪神・淡路大震災だった。もちろん4電鉄の車両や施設も多大な被害を受けた。これを機に、山陽は西代-東須磨間を建設中だった地下線に切り替えている。しかし、並行して走るJR神戸線(東海道・山陽本線)が、全国のJRからの応援もあって一足早く復旧したことに加え、沿線の人口減もあって利用者は減少した。
その3年後の1998年、阪神と阪急は異なる対応を取った。阪神は山陽とともに、梅田と姫路を結ぶ「直通特急」を新設した。直通特急は神戸高速鉄道線内の一部駅を通過し、特急の折り返し駅である須磨浦公園も停車せず速達性にこだわった。
一方、阪急は乗り入れを新開地駅までに短縮し、山陽も阪急三宮まで普通列車を乗り入れるのみに縮小した。阪急が乗り入れを新開地までにした理由として挙げられるのは、編成の長さだ。すでに阪急神戸線は一部列車で10両編成を実現していたのに対し、阪神と山陽は6両が最長だった。神戸高速のホームは阪急三宮-新開地間は8両対応だったが、それ以西は6両が限界だった。
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