「いろいろ調べていくと、35歳を超えると再就職が厳しくなると。当時は34歳でしたからぎりぎり間に合うと思って急いで受けました。ただ、ノンフィクション作家で6年こもっていた奴なんて面倒くさそうというのは自分でもわかります。正社員がよかったけど、執筆や編集に携われるなら何でもいいというつもりで受けましたね」
案の定、正社員採用の案件は書類審査の段階で落とされた。唯一通ったのはライブドアの「BLOGOS」編集部のアルバイト。背に腹は代えられず、次作が刊行される2カ月前の2010年9月から働き始めた。
次のステップに進むためにも逃げるわけにはいかない
しかし、暮らしは楽にならなかった。週3のつもりで面接を受けたが、週5で入ることを頼まれ、当時受けていたライター仕事をいくつか終わらせていたし、後に契約社員となった後は残業代も出なくなった。平日に自分の時間が作れなくなり、裁判の傍聴コラムという最後に残った新聞連載も終わらせるしかなかった。
「後で話を聞くと、同じくバイトで放送作家を兼業している人はそちらの時間を確保するために週3で契約していました。でもあのときはとにかく焦っていて、そんな交渉できる余裕がなかったんですよね」
職場の人間関係でも胃が痛い思いをした。先輩アルバイトから目をつけられ、ミスしたら全社員メールで告げ口されるなどの嫌がらせを受けた。それでもおよそ1年間耐えしのいだ。現在の自分が働ける職場がそうそうないことは就職活動を通して身にしみていたし、次のステップに進むためにも逃げるわけにはいかないと思っていた。
ドワンゴの報道チームへ転職したのは、東日本大震災の後のことだ。当時ドワンゴは調査報道を積極的に行っており、震災現場で目の当たりにした精力的な取り組みに強く惹(ひ)かれていた。満を持して中途採用フォームに履歴書を送ったところ、すんなりと書類審査を通り、面接では著作を知る上層部から好意的な評価を受けた。「BLOGOS」での勤務実績は「面倒くさそうなノンフィクション作家」というマイナス要素を消し去り、取材者としての実績が正当に評価される効果をもたらした。そういえるかもしれない。
ところが、喜んだのもつかの間。転職後しばらくして、ドワンゴは「われわれはジャーナリズムではない」という宣言を出すのと前後して、報道部門を大幅に縮小する。30人いたスタッフのうち10人はクビを切られ、安藤さんの採用面接を担当した上司も責任を取って退職。安藤さんもこのまま在籍するか、再びフリーランスに戻るか二者択一を迫られることになる。
と、そこで第3の選択肢が現れる。「BLOGOS」時代の上司が「ハフポスト日本版」(当時は「ハフィントンポスト日本版」)を立ち上げるプロジェクトの中枢におり、タイミングよくそちらに誘われたのだ。渡りに船。産経新聞社以来の正社員として、立ち上げ部署に配属されることになった。2013年4月のことだ。
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