「日本製3%」で沈むアパレル工場が生き残る道 3Kの印象変えよ!ルンバ導入の次世代工場も
慶応義塾大学を卒業後、三菱商事とボストンコンサルティンググループで経験を積み、28歳で帰郷 。「起業できる人は他にもいるけど、「三星毛糸」を次世代に残すことは自分にしかできない」という理由から家業の継承を決め、跡を継いでからは130年の歴史で初となる自社ブランドを発足させました。
場所は変わって、群馬で創業64年の伝統を持つ菅沼縫製所グループ。3代目を継いだのは、マッキンゼーで医療コンサルタントを務めていた菅沼蔵人さんです。12年間の勤務を経て2012年に群馬へ戻ると、医療・介護業界への参入を目的としたオーダーメードユニホーム事業を立ち上げました。
2人に共通しているのは、先代から継承した技術と異業種の血を掛け合わせていること。新たな価値を創出しているのはもちろん、そのアクションからは時代に合わせて事業形態を変えていこうという柔軟性も垣間見えます。
アパレル工場の多くは、メーカーから製造を委託される形で事業を運営してきました。しかし請負型のビジネスモデルは景気の影響を受けやすく、価格競争に陥りやすいという脆さもあります。
1社で無理なら、「工場連合」を
そこから脱却するために有効なのが、自社ブランドを立ち上げること。自社ブランドは自分たちで値段をつけられるため、適正な利益を得ることができます。工場の閑散期に製品を作れるので、リソースを持て余してしまうこともありません。
商品のタグに工場名が入ることの喜びや売れたときの達成感も大きいため、工場で働く人たちにとっても大きなモチベーションになります。自分がブランド作りにかかわっているという当事者意識を持つことで、「もっと品質を上げたい」という向上心も生まれやすくなります。
自社だけでブランドを立ち上げるのが難しい場合は、工場同士で連携して地域でブランドを発信するのも1つの手です。国内最大のニット産地といわれている新潟県五泉市は、最盛期には売り上げ800億円を誇っていたものの、現在では100億円を切るまでに数値が落ち込んでいます。
歯止めをかけるために結成されたのが「ニット工業協同組合」。加盟している工場は市内だけでも30以上。自社だけでものづくりを完結させるのではなく、自社でカバーできない部分は協力し合うなど、横のつながりを大切にしています。
日本を復興させるうえで、中小企業の活性化は不可欠。アパレル工場もほとんどが中小企業であり、近年では工場の支援に力を入れるコンサルティングファームが増え始めています。こういった外的要因を追い風に今回挙げたような自発的なアクションを起こしていけば、寿命は必ずや伸びていくはず。
先人たちが努力を重ねて必死につないできたバトン、今ここで落とすわけにはいきません。
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