あなたの「読書」にセンスはあるか? カリスマ編集者と経営学者、「読書」を語り尽くす(上)
漫画編集者と経営学者の「ストーリー」
楠木:小学校5年で帰国して、いくらでも本があるのはよかったけれど、ちゃんとした学校教育を受けていないので、算数なんか全然できない。何よりスポイルされているから、鉛筆をぽろっと落としても、誰か拾ってくれるものだと思って放っておく。とにかく鷹揚に、「よきにはからえ」でやっていたら、ついたあだ名は「バカ殿」です(笑)。
高度経済成長時代の日本ですから、アフリカと比べてすごくテンションが高い。勉強も部活もみんな真剣だし、ありとあらゆることについていけない。ここで僕の性格はそうとう規定されました。受験戦争とか、会社に入って競争とか、到底かなわないような気がした。それを大学時代まで引きずって、就職せずに大学に残って研究者になったようなものです。
佐渡島:研究している中で、「経営ってこういうものかな」とわかりだしたタイミングはありますか。「経営者と話が対等にできるようになってきた」と思えるようになるまでの期間はどれくらいでしょうか。
楠木:そうですね。自分で経営ができるわけではないですが、「商売ってこういうものかな」と自分なりにつかめるようになるまで10数年ぐらいかかりましたね。
佐渡島:きっかけは何だったのですか。
楠木:きっかけというより、徐々にです。ご商売をされている方はすごく忙しくて、自分の経営の文脈にどっぷり浸かっているものです。岡目八目とよく言われますが、忙しい経営者に代わって僕が考え事をして論理みたいなものを引き出し、ほかの人が読んで役立つかたちに整理する。こうした自分の仕事のスタンスがなんとなく見えてきたのは、この10年ぐらいですね。
佐渡島:経営者が自分の文脈に入り過ぎて、ものが見えなくなるというのは、確かにそのとおりですよね。
楠木:ええ。でも、客観的にものが見える人だと経営が成り立たないと思うのです。自分の文脈に入っていく度合いが薄すぎたら、経営なんてできないでしょう。だから明らかなトレードオフ。考える時間がない忙しい人になり代わって、時間だけはたっぷりある僕が考え事をする。時間があるので毎日よく眠るから、頭もわりとスッキリしている。
考え事の対象になる企業は、業界や規模では絞っていません。「放っておいたら儲からなさそうな状況がそろいまくっているのに、儲けている会社」が大好き。これは「競争の戦略」という僕の専門分野からしてそうなります。景気がいいから儲けているのでもなく、製薬や石油のように業界の構造が儲かりやすくなっているわけでもない。その会社に独自の戦略で儲けている背後には、「よく考えたな」という戦略のストーリーがあるものです。それを見つけて、「なるほど、そういうことか!」と感心する。考えたことを書いたりしゃべったりして世の中の人々にお伝えする。僕がやってることはそれだけで、考えてみると悠長な仕事です。