片岡鶴太郎「定年後に遊ぶのでは遅すぎる」 自分の魂を喜ばせるのは何か知っていますか
私に最初に絵を描かせてくれた赤い椿の花は、私が気づくずっと前からそこに咲いていました。
普段は気づかなかったその存在に気づくことができたのは、心が自分の内に入っていたからだと思います。調子がよくてイケイケのときほど、そういうものに目が行かないものです。
そう考えると、がむしゃらに働く20代、30代を過ぎて、少し余裕が出てくる頃こそチャンスではないでしょうか。それはある意味、神様からのプレゼントだと思うのです。
30代後半ですべてをなくした孤独感、無力感、焦燥感がなければ、私は椿の存在に気づかなかったでしょう。周りの人間も、いえ私自身でさえ、絵を描くことになるとは思っていませんでした。それがあの日、早朝に気づいた椿の存在で、道が開けたのです。
「ボクシングの次は絵なんかやって、今度は芸術家気取りかよ」
と口さがないことを言われたこともあります。でも、何を言われても構いはしません。私の魂の根源的な欲求なのですから、どうしようもないのです。
まったく不安はない
そして今の私には、まったく不安はありません。さまざまな人との出会いやたくさんの贈り物によって、魂の歓喜を感じることができているからです。
おカネがあって、大きな家があって、高級車に乗って、贅沢な料理を口にして、すてきな家族に囲まれてと、多くの人が信じる幸福像は、ひょっとして自分自身の幸福ではないかもしれません。
そのことに気づかず、自分の魂に背いた生き方をすることで、不安になる。その不安を打ち消そうとすると、ますます不安になる。少なくとも私はそうでした。
自分の魂が歓喜するシード(種)は、自分の中に必ずあって、自分にしか気づくことはできません。もしも小さなシードの存在に気づいたら、水をやり、声をかけ、慈しんで育ててください。失敗してもめげず、周りの人が何と言おうと振り回されずに。最後に私の大好きな言葉を記します。
汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり
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