「歴史の教え方」は、日米でどう違うのか? リベラルアーツ流の「考え方を考える」授業

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自分で質問を生み出す力

授業では先生からどのように考えればいいか、というヒントを質問の形でもらっていましたが、リベラルアーツで身につける力というのは、このような質問を自分で考える力なのだと思います。

つまり、生の情報を読んで、自ら質問を考える力、その質問に対して論理的に答える力、そしてそれを人に対して説明する力、というふうに、「読む―考える―説明する」というステップを自分でできるようにする教育を行っているように思います。

リベラルアーツでは2年生の終わりに専攻を決めるのですが、これだけ歴史について語っていることからお察しの通り、私は歴史を専攻しようかな、と思っています。私が今まで受けてきた日本での歴史教育とウィリアムズカレッジの歴史教育は少し違うかなと思います。

日本で習ってきた歴史の勉強は、知識がベースでした。「何が起こったのか?を正しく把握できているか」ということが重視されました。それはそれで好きでしたし、一つ一つの事象を長い歴史の中で把握することはとても大事です。

しかし、ウィリアムズカレッジでは、『「なぜ」それが起こったのか?ということを「あなたは」どう分析しますか?』ということがメインです。

「何が起こったのか?」という知識をベースに、それが「なぜ」、「どのように」起こったのか、ということを文献をもとに「自分で」考える、というのがアメリカでの歴史の勉強の醍醐味ですし、そこが私はとても好きです。

1つ課題をご紹介しましょう。

20世紀ドイツ史のペーパーで、「1931年に制作・公開されたFritz Lang 作の”M”を参考に、ワイマール共和国後期について述べよ。5ページくらいでよろしく」というものがありました。

もちろんこのペーパーでは、”M”のあらすじを紹介するだけでも、当時のドイツの状況を話すだけでもダメなのです。課題が問うているのは、「この映画を通して、あなたはどのように当時のドイツの状況を理解しますか?」ということです。SummaryではなくAnalysisなのです。

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