原料すべて十勝産のパン屋、東京進出のワケ 小麦も十勝産!満寿屋商店の勝算

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4代目の杉山雅則社長(撮影:今井康一)

その間、雅則社長は製粉会社や八百屋で働いた後、米国の製パン学校で学ぶなどして経験を積んだ。父亡き後母が守っていた家業を継いだのは2007年のことだ。つまり、創業から4代目にして、ようやくほぼすべての原料を十勝産にできたのである。

満寿屋商店がすべてのパンを地元産小麦だけで賄えるまで時間がかかったのは、「国産小麦では、おいしいパンができないというのが業界の定説。量もないし、品質も安定していない、消費者も好まない」(杉山社長)という三重苦からスタートしなければならなかったからだ。

国産小麦が増えてきたワケ

もともと日本の小麦自給率は低く、2013年時点でもカロリーベースで12%程度しかない。農林水産省農林水産政策研究所の吉田行郷博士によると、昔はコメの裏作として栽培されていた麦類は、戦後の食糧難でコメの増産を優先する政策により、生産量が減少。しかし、1960年代後半からコメが余るようになったことや、1972年に世界的な食料難が起こって食料価格が上がったことで、1978年から国が小麦の生産拡大に力を入れ始めた。1980年代からは、おいしい小麦を作るための品種改良も始まった。

小麦の品種改良には10~15年を要する。2000年代になると、全国各地の土壌に適した新しい品種が次々と生まれていく。消費者間で食の安全に対する関心も高まり、国産品を見直す動きも出てきた。その結果、町のパン屋で国産小麦使用をうたったパンが売られ始めたのである。

十勝産小麦100%使用のパンを売り始めたのは2003年ごろにさかのぼる(撮影:今井康一)

満寿屋商店が、十勝産小麦100%使用のパンを売り始めたのは2003年。「そこから5~6年で全体的な売り上げが30%ぐらい上がりました。十勝の人は、水も空気も食べ物もおいしく、時間的・空間的なゆとりがある地元への誇りが非常に強いからです。おかげで、生産者でもあるお客さんから『十勝の小麦を使ってくれてありがとう』と言われるようになりました」と雅則社長は語る。

追い風になったのは、業界2位の大手、敷島製パンが食糧自給率向上を掲げ、北海道で開発された小麦、「ゆめちから」の採用を大きく宣伝したことだ。ゆめちからは北海道農業研究センターが13年かけて開発し、2009年に登録された品種。病気に強く、農薬の使用が少なくて済む。含有グルテン量が多いため、パンの材料に向いている。敷島製パンがゆめちからを使ったパンを売り出したのは2012年だ。

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