貴重映像!満鉄「あじあ号」の機関車が動いた 煙上げ「パシナ」が走る1984年の動画がここに

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
動輪の直径が2メートルという大型の蒸気機関車「パシナ」(筆者撮影)

パシナ形は全長25.7メートル、全高4.8メートル、幅3.2メートル、総重量203トンの大きさを誇る蒸気機関車だ。

動輪の直径は2メートルもあり、許容最高時速は130キロメートルだった。当時世界的に流行していた流線形の覆いが施され、色は淡緑色であったという。

SL世界速度記録を樹立したイギリスの「マラード」(筆者撮影)

この時代は世界的に流線形の蒸気機関車が流行しており、ドイツの05形SLは試験走行で時速200キロを達成、イギリスの「マラード号」も1938年に時速202キロのSL速度世界記録を樹立している。「あじあ」号を牽引したパシナ形も、それらの機関車と対等に立ち向かえる高性能高速機関車であった。

東海道新幹線生みの親と言われる鉄道技術者の島秀雄は、同じく鉄道技術者で父の島安次郎と共に、当時満州をたびたび訪れていた。島秀雄は「当時『あじあ』が最高時速130キロを出していたので、弾丸列車の時速200キロは不可能ではない」とも述べている。

瀋陽の機関区で奇跡の対面

「あじあ」号は、運転開始の翌1935年には新京からハルビンまで運転区間が延長され、大連-ハルビン間943.3キロメートルを12時間30分で走破している。この時代が「あじあ」号の最も華やかだった頃であろう。

だが、わずか8年後の1943年(昭和18年)2月28日には、太平洋戦争の激化に伴って「あじあ」号の運転は休止。以後、運転が再開されることはなかった。そして、パシナ形機関車の消息も途絶えてしまった。

蘇家屯機関区に留置されていた「パシナ」(右)(筆者撮影)

筆者が初めて中国の鉄道を訪れた1983年、大連、瀋陽(奉天)を中心にした旧満州には日本製の蒸気機関車が数多く現存していたが、その旅の途中、瀋陽郊外の蘇家屯機関区で緑色の流線形機関車「SL751号」に対面した。

この機関車こそ、かつて大陸を疾走した「あじあ」号の先頭を飾ったパシナ形機関車だったのだ。すでに廃車寸前で走ることはなかったが、我々日本人の熱い要望で、鉄道関係者たちは中国東北地方の観光振興のため復元して走らせる……と約束してくれた。

次ページ40年の歳月を経ての復活に感動
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事