女性活躍阻む「日本型転勤」はなぜ生まれたか 転勤ありの夫婦は「子を持たない」が最適解?
すなわち、どんな仕事にも、どんな職場にも配転されることが、解雇という最悪の事態を避けるための必要悪として労使双方により受け入れられ、やがて高度経済成長期には、必要性がどれほどあるのかわからなくても、定期的な配転が制度として確立し、妻や子どもたちを引き連れて全国を転勤することがごく当たり前の現象となりました。
高度成長期において、労働者とは男性であり、その妻は専業主婦かせいぜい小遣い稼ぎ程度のパート主婦であることが前提とされました。これはそれなりに合理的な社会制度であったといえましょう。この時代にも転勤が社会問題とされましたが、それは妻の仕事よりもむしろ、子どもの教育・受験ゆえに父親が単身赴任を強いられることが注目されたからです。
その頃、職場の女性は男性とは異なる身分で、結婚退職までの短期間、男性の補助的な仕事に従事する「女の子」というのが普通のあり方でした。男性には上記のように転勤の義務を認めても、独身女性には転勤義務を認めない判決が普通でした(1979年のブック・ローン事件判決)。
女性を「男性並み」に活用した結果起きた問題
その後、世界的に男女平等の波が押し寄せ、1986年の男女雇用機会均等法、1997年の同改正法により、女性の職場進出が進みました。当初は男性を総合職、女性を一般職と言い換えて済ます会社も多かったのですが、21世紀以降は女性を男性並みにどんどん活用していこうという会社が増えてきました。そして、結婚し、子供を産んでも、男性と同じように基幹的な仕事をこなしていく女性がごく当たり前の存在になっていきました。
ところがその「男性並み」というのは、専業主婦やせいぜいパート主婦を養う伝統的な男性社員のイメージから一歩も出ないままに、仕事も時間も空間も限定されない男性社員モデルに女性たちを当てはめるものだったのです。
その結果、妻も夫も総合職や基幹職として働く夫婦の場合には、ともに「家庭生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度のもの」というかつての規範があまり変わらずに適用されていきます。厳密には転勤事案ではありませんが、夫と共働きで3歳児を保育所に送り迎えしていた女性社員に、それを困難とする目黒区から八王子への異動を命じ、拒否したことを理由に懲戒解雇した2000年のケンウッド事件最高裁判決は、「不利益は必ずしも小さくはないが、なお通常甘受すべき程度を著しく超えるとまでは言えない」と言っています。
もっとも、さすがにそんなことでは女性の活躍なんかできるはずがないという認識も、21世紀になると少しずつ広がっていきます。2001年の改正育児・介護休業法では、転勤を伴う配転の際には転勤によって育児や介護が困難となる労働者に配慮せよという緩やかな規定が設けられ、2006年の改正男女均等法では、総合職の募集・採用で全国転勤を要件とすることや昇進で転勤経験を求めることが間接差別だとされました。
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