家族を振り回す「家庭内管理職」の迷惑な実態 退職後も影響力を行使したい人の精神構造
支配欲求も承認欲求も満たされず、しかも自らの存在意義も見いだせないと、誰でも不安を感じる。こうした不安から身を守るために、過去の栄光に固執する人もいる。
やたらと過去の栄光を持ち出す人たち
たとえば、筆者の外来を受診した男性は、上司である50代の営業部長に悩まされている。この上司は過去の成功体験ばかり語り、昔の非効率な仕事の仕方に固執するという。
たとえば、「おれが若いころは、取引先に嫌われても毎日顔を出したものだ。そうすれば必ず熱意は伝わる」といった具合だ。
何よりも困るのは、変化を嫌うこと。たとえば仕事の効率化に効果があると部のみんなが認めるタブレットの導入を拒否する。「注文票にきちんと記入して、会社に帰ってからパソコン入力するほうが間違いがない」と主張して譲らないという。部長は営業に行くわけではなく、タブレットを日常的に使う必要がないにもかかわらずだ。
患者である部下の男性は、「パソコンすらうまく使いこなせないから、タブレットなど手に負えないと思っているのでは」と推測する。
部下の仕事の効率が飛躍的に上がったら、自分が成果を出してきた昔ながらの仕事の仕方は非効率と思われる可能性もある。そうなると自分の存在が脅かされるのではないかと危惧しているのかもしれない。
こういう人は、過去の栄光を自己愛の傷つきへの防壁にしているわけだが、その結果、目の前の現実を直視できず、現実的な判断ができなくなる。
ここまで見てきた「家庭内管理職」と職場の迷惑な上司たちには共通点がある。支配欲求も承認欲求も人一倍強いのに、満たされていないので、欲求不満と自己不全感を抱いており、過去の栄光にすがる。自らの存在意義へのこだわりが強く、それが揺らぐのではないかという不安にさいなまれると、自分を強くアピールせずにはいられない。
その背景には、強い自己愛がある。そこから派生した次のような特徴もしばしば認められる。どの特徴が目立つかは人それぞれである。
1) 自分自身の過大評価
かつて会社で自分がどれだけ偉かったか、過去の成功体験をしきりに語るのもこのためだ。
ときには、現実にはそれほど偉くなかったり、そんなに成功したわけでもないのに、本人は「自分はこんなにすごかったんだ」と吹聴するので、周囲が「どうしてこんなに勘違いできるのか」とあきれることもある。「~だったらよかったのに」という願望をあたかもそれが実現したかのように思い込む「幻想的願望充足」に陥っている可能性も否定できない。
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