東芝の危機はすでに10年前から始まっていた 原発事業の「高値づかみ」がすべての元凶
S&Wは2008年にWHが受注した米国南東部での二つの原発建設プロジェクト(2基ずつ計4基)のコンソーシアムパートナーだった。WHが原子炉やタービンなど機器類、S&Wが建設・土木を担当し、原発建設を一括で請け負う契約を電力会社と結んだ。
日本では、東芝に限らず原発メーカーは費用が膨らんでも、合理的な理由ならばその負担は電力会社が面倒を見てくれる。かかった費用を総括原価方式で電力料金に上乗せして回収できるからだ。一方、海外では特に一括請負の場合、コストオーバー分を原則、受注側が負担しなければならない。
WHとS&Wが受注したのは、米国で約30年ぶりの原発新設となる晴れがましいプロジェクトだった。だが、2011年の福島第一原発事故によって、米国での原発安全規制が一層強化されることになった。次々と加わる安全規制による設計変更や許認可審査のやり直しなどでプロジェクトは大きく遅延。東芝社内には2013年時点で、16億ドルのコスト増リスクとの報告もあった。
間違いは「WHを買ったこと」
超過コストの分担などをめぐって一部は訴訟に発展した。このままではプロジェクト自体が雲散霧消しかねない。そこでWHがS&Wを買収する案が浮上した。財務基盤が脆弱なS&Wの親会社CB&Iは原発から手を引きたがっていた。CB&Iは約1000億円をS&Wに入れて撤退、電力会社も契約金額増額や完工期日の延期を受け入れる。WHは将来の事業リスクを負うが、外部コンサルの導入によって建設コストを30%削減できると踏んでいた。
東芝の悲劇は、その希望的観測がわずか1年で砕け散ったことだ。ただ、それは結果論でしかない。
「東芝はどこで間違えたのか」という記者の問いに綱川社長は「2008年に受注した原発事業」と答えた。さらに「WHを買ったことといえなくもない」と重ねた。
自己資本が1兆円しかなかった2006年に約6000億円を投じたWH買収は、当初から高値づかみという批判がなされていた。当時の東芝の経営陣でも賛否は分かれた。岡村正会長は反対、原発事業の最高責任者でさえ2800億円以上での買収には反対。それを押し切ったのが西田厚聰社長だった。当初買収を後押ししていた西室泰三相談役は、価格が吊り上がるに従い何も言わなくなったという。
WHに共同出資するはずだった丸紅には直前で逃げられ、別の総合商社にも断られた。紆余曲折を経て、東芝の現状出資比率は87%に及ぶ。
高値買収を何とか正当化しようと原発受注に励んだが、現実は厳しかった。米国でのプロジェクトをまとめた東芝OBは「当時から米国の電力会社は積極的ではなかった。安い天然ガスがあるのに原発なんてやりたくない、というのが本音だった」と振り返る。そうした中での受注が好条件でなかったのは当然だ。
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