街の駐車場で「鉄道信号技術」が使われている 老舗メーカー、日本信号の知られざる得意技
日本信号の生産拠点、久喜事業所には手動でガチャンと青と赤の信号色を変える腕木式信号機が保存されている。レバーを上下させて、青や赤を表示するシンプルな構造だが、実はこの機構に日本信号のルーツがあった。
コインパーキングについて聞きに来たのに、手もとに置かれた資料は、まずA4判の紙1枚のイメージ図だった。その紙には、鉄道線路の片開き分岐器の図が描かれている。
鉄道の分岐器は、分岐していく方向へ向けて、ポイント・リード・クロッシングの3つで構成されている。ポイント部にはトングレールがある。スパゲッティなどを湯からつかみあげるときに使うトングと同じイメージの、ハの字で先が尖ったレールだ。
このトングレールが線路の右側のレールに接するように切り替わると、列車はトングレールに導かれるように左へと分岐する。右へ分岐する場合は、トングレールが左側のレールに接するという具合だ。この転轍機でトングレールの動きをロックさせる機構が、駐車場のフラップ板や遮断器に応用された。芙蓉氏・江原氏はいう。
「要となる部分は、転轍機に備わるエスケープクランプという機構。レバーの動きに連動し、トングレールを鎖錠、つまりロックする。これが力強くロックできずに、線路とトングレールの間にすき間ができたりすれば、列車はたちまち脱線する」
トングレールからフラップ式駐車場へ
日本信号は、腕木式信号機に備わるエスケープクランプから、鉄道の転轍機、遮断器へと発展させ、1960年代後半には「鎖錠する」「ロックする」という技術で、駐車場の「パークロック」の開発に着手する。
水平面でトングレールを切り替えて十数トンの車両の方向を変えるという技術を、ロック板(フラップ)を上下させて1トン前後のクルマをロックさせるという仕組みへと進化させた。
1970年、機械式パークロック100Hを初めて市場に投入。いわゆる時間貸駐車場の歴史は、この日本信号のパークロックの登場から始まった。パークロックシリーズは米国のアイデアを元に国内投入された。
「ベースボールのゲームが終わったあと、観客がワーッといっせいに球場から出てきて、周辺駐車場からクルマを出して帰っていく。そんなとき、ゲート式の駐車場だと大渋滞が起きるので、1台1台個別に精算させたいということで、野球場向けに米国で開発されていた」
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